果てしなき開発競争は、Mac-OSでも例外ではない。こちらも私はようやく10.2にアップグレードしたばかりだが、世間では3世代も新しい10.5(レパード)が主流。
次々と新製品を開発し、次々と新しい需要を掘り起こし、果てしなく利益を追求する経済図式は、パソコンのOSに限ってはいない。
私の関わる住宅産業も似たり寄ったりで、企業側の戦略に踊らされ、たいして必要もない設備機器を、無理矢理買わされているのが実情だ。
消費者がその戦略に乗らなければよい。たとえば車はエンジンが動く限り、扉に穴が空くまで何十年でもトコトン乗り続ける。(私です)
温風乾燥式自動洗浄トイレや、自動食器洗浄乾燥器、全自動乾燥機付洗濯機、調理機能付レンジ等の「過剰文明機器」の類いは、一切買わない。(我が家です)
そんな時代が日本にくるとは思えないが、もし万人が身の丈にあった慎ましい暮らしを始めたとすると、この世はかなり過ごしやすくなると思う。
ただ、「果てしなき成長ごっこ」は止まってしまうので、それすなわち、資本主義経済の終焉を意味する。現状の経済にマヤク的に依存している人には、とても堪えられない世界だろう。
そしてそのあとにくる社会は、もちろん社会主義経済ではないはず。
フキノトウの新芽を食べた |
「環境主義」という言葉がふと思い浮かんだが、気になってネットで検索してみたら、すでに唱えている人はいた。
定義としてはいわゆる「エコロジー」とは全く違っている。エコロジーはあくまで資本主義経済の「尻拭い」に過ぎないと。なるほどね。
いつもこのブログでふれていることと大きな隔たりはなく、「勤勉で無欲になること」が大きなポイントらしい。「閉じてゆく日本社会」がそんな選択をするとは、とても思えないが。