サラリーマンをしていた20代前半、当時社内で組んでいたフォークユニットで作り上げたオリジナルテープは片面が全曲オリジナル、片面がカバー曲という構成だったが、この「面影橋から」と、同じ六文銭の「雨が空から降れば」は忘れずに歌って入れた。
昨年春にNHK札幌テレビ局の「フォークブーム再燃」という企画で取材を受けたとき、オリジナル曲「夕凪ワルツ」のほかにカバー曲としてこの「面影橋から」を歌い、本放送でもちゃんと流れた。
2006年6月の「北海道神宮フォークうたごえまつり」でも、かなりの聴衆の前でこの曲を歌った。いつどこで、何度歌っても飽きがこず、その時折の宇宙観が目の前に開かれるという、実に不思議な曲だった。
先日、この曲の作者である及川恒平さんが20代と思われる頃、ライブでこの曲をソロで弾き語る貴重な映像を観る機会があった。著作権問題がクリアされているか否かが定かではないので、子細は書けない。しかし、その風貌も歌唱法もいまとは微妙に異なっている。
胸まで伸びた長い髪はともかく、声そのものは人生の年輪を重ねたいまのほうが、より力強く感じた。
当時の映像を眺めながら一緒に歌を合わせているうち、これまでずっとストロークで歌ってきたギター奏法を、一度アルペジオでじっくり弾いてみようか、という気分になった。
ご本人がライブで歌うときは、いまも昔も変わらずアルペジオで弾いて歌っている。だが私が歌う際には、自己流の解釈でより力強いイメージのストローク奏法にこだわってきた。
気になって35年前の古いカセットテープを探し出し、聴き直してみた。すると、キーは違うが、ちゃんとアルペジオ奏法で弾いている。いまよりももっと貧乏だった当時、六文銭のレコードは買えず、もっぱらラジオから流れる「耳コピー」専門だったから、奏法もそれに合わせた可能性が高い。
35年前の自分が歌う「面影橋から」を聴いていて、とても恥ずかしくなった。若いのでキーは確かに高いが、ともかく歌が薄っぺらい。自分の最近の音源と比べてみても、その差は歴然。
「北海道神宮フォークうたごえまつり」で別の歌い手から、「あの歌の世界は難しくて、よく理解できない」と言われたことをふと思い出した。作った当人である及川恒平さんですら、若い頃といまとでは、歌の奥に広がる世界観が違って見える。「面影橋から」はきっとそういう歌なのだ。
この「面影橋から」は、芝居の挿入歌として最初は作られた。いきさつは歌の作り手である及川恒平さんのHPに詳しい。
その芝居とは、「大塩平八郎の乱」である。「面影橋から」はずばり、江戸末期に幕府の悪政に抗って蜂起した儒学者、大塩平八郎の歌と言い換えてもよい。
この歌の背後に垣間見える世界観、宇宙観の大きなポイントがそこにあると私は思っている。
(次回に続きます)