大塩平八郎が大いなる志を抱いて蜂起したのは、旧暦の2月末。いまでいう3月末の早春だ。秋に乱舞する赤トンボは、生きた証となる「子孫」をこの世に残し、すべて死に絶えている。
大塩平八郎は乱を興した40日後にあえなく自決する。彼がもし戦乱の世に生まれていたなら、もっと別の生き方や死に方をしていたかもしれない。だから死に遅れた「季節はずれの赤トンボ」なのだ。
大塩平八郎が決起した場所は大阪の天満橋近く。この橋は実在する。だが、この曲の歌い出しに出てくる「面影橋」は大阪には存在しない。それでも赤トンボは面影橋からやってきた。
つまり、この歌の「面影橋」は夢の中の橋、過去の記憶の中にある橋、もしかすると大塩平八郎の前世を象徴する橋である。そして、その夢の橋から、現実の橋である「天満橋」へと赤トンボはやってくる。
歌の中で赤トンボは最後に「日影橋」に流れ飛んでゆく。この「日影橋」も想像上の橋であることは、及川恒平さんのHPにも書いてある。仮に「面影橋」が前世の橋なら、「日影橋」はすでに影と成り果てた来世の橋、つまりはあの世にかかる橋ということになりはしないか。
志かなわず、大塩平八郎は自決した。赤トンボの流れ落ちた先は、あの世である「日影橋」のたもとだったのではないか。
これまでの記述はすべて私の勝手な想像で書いたものである。及川恒平さんご本人のHPにも書かれているが、「はっきりと何かを意識して詩を書いたわけではない」というのがどうやら本当のところらしい。
そうなるとますます想像が膨らむのが聴き手としての悲しい性なのだ。
「面影橋から」には当初、1番しか歌詞がなかった。しかし、予期せぬ反応があったため、急きょ2番を追加したという。最初にラジオから流れた1971年ころの歌詞と、いま聞いている歌詞とでは、実は2番の内容が微妙に異なっている。
これまた気になって1974年に作った自主オリジナルテープを聞き返してみたら、古い歌詞で歌っていた。ちょうどその頃が、歌詞の切り替わった時期だったような気がする。「面影橋から」には、闇へと消えた別の歌詞が確かにあるのだ。
古い歌詞を得ることはいまではもはや困難で、その存在すら知らない人も多いはず。その二つの歌詞のナゾは、大塩平八郎の存在ぬきでは語れないと私は思っている。
(次回で終わります)