1通の喪中ハガキが先週末に届いた。30年以上前に仕事上で知り合い、量は多くなかったが、途切れずに仕事をもらっていた同年代男性が亡くなったとの内容。私同様に自宅を拠点に建築設計事務所を主宰していて、差出人の奥様もよく知っている。
25年前に自宅を新築した際には、土地探しから始まり、慣れぬ建築確認申請のアドバイスをいただいたり、施工する工務店を紹介してもらうなど、多方面でお世話になった。
ここ10数年はお付き合いがなかったが、年頭には「今年もどうぞよろしく」と添え書きが入った年賀状が届いていた。ところが、喪中ハガキには2月上旬に亡くなったとある。元気そうに思えたのに、いったい何が起こったのか…?
胸騒ぎを覚えつつ、悪い想像が頭をかけめぐる。年は先方が1歳上と思っていたが、私より4つ上だったことを知る。それでも平均寿命と比べて、少し早すぎる気がした。
亡くなってからすでに10ヶ月が経過していて、一周忌に合わせて弔問することも考えたが、やはり早いほうがいい気がしてきた。妻とも相談し、霊前に供える菓子を準備して自宅にうかがい、直接お悔やみを伝えることにした。
午前中に先方に電話し、弔問のむねを予め伝えてから車で出かけた。事情で位牌やお骨はすべて奥様の実家に移したと聞いていて、霊前でのお参りは叶わない。弔意は玄関先で伝えた。
奥様に続いて顔見知りの息子さんも現れ、亡くなった経緯を伺う。昨年5月に末期の肺ガンが見つかり、手術が不可能で抗がん剤治療を続けていたが、やがて脳にまで転移し、意思疎通が難しくなったことで治療を打ち切ったという。
市の定期健診等を受けていたかどうかは、聞きそびれた。発覚からわずか9ヶ月という短さで、イノチの儚さを改めて思い知る。
このところ身近で同年代の方の訃報が相次いでいる。新聞のお悔やみ欄にも同年代の告知が、やけに目に付くようになった。
60代までは(まだまだ生きるぞ…)と自分を励ましつつやってきたが、70歳で両親を送ってからは、(次はいよいよ自分の番だ…)と、具体的なイメージで死を捉え始めた。
75歳を乗り越え、すでに充分生きてきた実感はあるが、残された貴重な日々を、悔いなく過ごすことを心がけたい。