2006年9月29日金曜日

分別ゴミストッカー

 台所の隅に、作業台ワゴンをかねた分別ゴミ収納を作って置いてある。スーパーのレジ袋がきっちり4枚セットできるよう、スペースを確保した。
 レジ袋は四方にとめたビスに引っ掛ける仕組み。乾電池やプリンタインク等の特殊なゴミは、小さなレジ袋に入れてビスに掛けてある。

 袋の上部が常にあいた状態なので、ゴミをポンポン放り込め、収集日には袋ごと外してしばるだけ。ストレスなく分別収集が叶う。


 材料はOSB合板の12ミリがメインで、他は無垢材の端材を使った。写真左端に見えるグレーの箱は、市販の生ゴミストッカー。これだけはさすがに自然素材で作るのは難しかった。
 札幌市の場合、燃えるゴミ以外では「プラスチックゴミ」「燃えないゴミ」「資源ゴミ」の3種類だ。つまり、ひとつは予備である。
(その後、資源ゴミが「びん缶ペット」「雑がみ」の2つに分かれた)
 一度だけ私が設計した別の家にも作ったが、そのときは杉の集成材で頑丈な構造にした。器用な人なら、DIYで簡単に作れるだろう。
 割にスペースをとるので、台所にはある程度の広さが必要である。

2006年9月26日火曜日

忘れタチアオイ

 やがて10月だというのに、敷地北東の一角に突然、真紅のタチアオイの花が一輪咲いた。背丈は15センチほどで、1メートルを越す普通のものと比べて、ごく小さい。まるで生け花のようだ。

 いつ育ったのかまるで記憶にないが、近くにあるタチアオイは北東の邪気よけの白だから、この分身ではない。南東角に植えた真紅のタチアオイの種が飛んできた可能性が高いが、それにしても他のタチオアイがすっかり姿を消したこの時期に、いったい何のために?


 調べると、近隣の空地にも草刈りのあとに芽を出したピンクのタチアオイがひっそりと咲いている。生命力が強い花なので、ちょっとした気候の隙間をねらって花を咲かせ、種を後世に残そうとするのだろう。
 そのたくましさ、少しは見習うべきか。

2006年9月24日日曜日

ほたるコンセント

 我が家の階段の昇り口と降り口には、ちょうど足元を照らす位置にセンサー照明つきのコンセントが取付けてある。暗くなると自動で灯り、明るくなるとこれまた自動で消える。
 スイッチが夜になるとぼんやり光る「ほたるスイッチ」という商品があるが、いわば「ほたるコンセント」である。
 ランプは5ワットの豆球で、これでも暗闇だとかなり明るく、夜中にトイレに起きても、階段照明なしで充分安全だ。


 コストは普通のコンセントをつけるのと大差ないので、これまで設計した家には、すべてつけた。中には寝室からトイレに至る通路の要所に、何カ所もつけた例がある。

 欠点は2年ほどでランプが切れてしまうこと。最近になってLEDを使った消費電力が1/10以下、長寿命の製品が発売されたので、こちらを指定している。
 いまある普通のコンセントをこのタイプに変更することもたぶん可能。

2006年9月21日木曜日

ウッドデッキ物干

 自作ウッドデッキには、これまた自作の洗濯用物干をしこんである。ユーティリティ内部には充分な洗濯干場を確保してあるが、晴れた日には洗濯物はここに移動する。
 デッキ梁の一部には穴があけてあって、ここにハンガー類を差し込む。穴は深いので、かなりの風でも飛ぶことはない。大物はパイプにそのまま干す。パイプの長さはデッキ幅と同じ3640。シーツ類は2枚同時に干せる。


 パイプはステンレス製だと極端に高価なので、鋼管にステンレス被膜した製品をホームセンターで買い求め、両端を切って加工した。こうすると1,000円以下で済む。
 パイプの受枠はデッキと同じ木材を使い、パイプは自由に外せる構造になっている。
 洗濯物をどこに干すか?の決定権はほとんどが女性が握っていて、我が家もその例外ではない。
 太陽光による殺菌効果を好む方は外の干場を求めるが、人によっては屋外に洗濯物を干すことを極度に嫌う方もいる。過去の設計例でも、積極的に外に干場を希望された方のほうが少ない。下着盗難などに対する恐れが、心理背景にあるのかもしれない。

 私自身も洗濯をすることをいとわないが、経験的には、特に春と秋には早く乾いて早く片づく外のほうが好きだ。シーツやタオルケットなどの大物を洗う場合、特に楽なのである。

2006年9月19日火曜日

カモミール再び

 とうに収穫期を終えたと思っていた庭のカモミールの花が、どういうわけだか、猛烈な勢いでまた咲き始めた。放っておくわけにもいかず、再度摘み取って窓際に干している。
 ざっと数えてみたら、150以上もあった。過去最高の量だ。いったいどうなっているのだろう?
 おかげで新しいカモミールティーを、どんどん飲める。ありがたい。


 家庭菜園のトマトも最盛期は過ぎたはずだが、まだまだ採れる。こちらも独特のコクがあってうまい。枝豆は昨日ですべて採り終えたが、それでも過去最高の出来だった。
 暑かった夏の、少しばかりの恩恵なのかもしれない。

2006年9月17日日曜日

スリット棚

 以前にも「スリットベンチ」という、隙間のあるベンチのことを書いたが、「スリット」は、自宅の重要な設計コンセプトのひとつである。

 今回記すのは、トイレにある自作のスリット棚。写真のように無垢材の端材で自作した簡単なものだが、予備のトイレットペーパーが4個入る。
 中央のスリットが広いのは、そこからペーパーをぎりぎり入れるため。上部には民芸品と時計を置いてある。


 DIYのレベルとしては低く、初心者むけだが、この種の棚は放っておくと、ツマラナイ市販品がいつの間にかサービスでつけられていることが多いから、自作したい場合は要注意だ。

 他から設計を依頼された場合、ランバー合板で同寸法の棚を作り、扉には集成材を使って、ごく普通の中が見えない棚にしてしまう。
「中が一部見えてしまう」という棚をトイレに使うことには心理的な抵抗があるらしく、「この棚を我が家にもぜひ」という要望が出たことは、いままで一度もない。

2006年9月13日水曜日

六角コースター

 結婚祝いに知人友人からいただいた物は、31年の時を経てその多くはすでにないが、数少ない生き残りは、いまも現役で毎日使っている六角形のコースターである。
 チーク材の寄木細工で、1枚確か450円前後だった。同期で入社した仲間からの贈り物だったが、値段を知っているのには理由がある。

 代表の一人が「2,500円くらいの予算で何かプレゼントしたいので、好きなものを言って」と事前に声をかけてくれた。
 欲しかったが高価で手がでなかったコースターがあり、それにして欲しい、とすぐに申し出たが、あいにく売っている場所が新宿の京王デパート。当時芝浦にあった職場からは、はるかに遠い。


「面倒だから、菊地さんが自分で買ってきてよ」と代表の女性は言う。しかし、そのコースターは6枚セットで、合計2,700円である。足りない分は自腹で、と思っていたら、あとで不足分の200円もちゃんとくれた。
 大卒初任給が7万くらいの時代だったから、いまなら軽く1枚1,000円は超える高価なコースターだ。しかし、酷使にも耐え、1枚も欠けずにいまに至る。
 自分への贈り物を自分で買う、というのも妙な話だが、「ホンモノ嗜好」「徹底したこだわり」といった暮しや生き方に対するキーワードは、すでにその時期から確かに息づいていたことになる。

2006年9月8日金曜日

自然な神

 20年ほど前、あるアメリカ人男性が家にホームスティした折、「あなたの信ずる神は何か」と問われたことがある。
「それはnature(自然)です」と、すぐに答えた。
 仮にいま、同じ質問を誰かから投げかけられたとしても、同じように答えるだろう。


 こんなふうに考えるようになったきっかけは、16歳と20歳のときに自転車による単独放浪旅行を企て、地べたを枕にする生活を長期間経験してからだ。そこで自然や宇宙の広大さ、寛大さを知り、同時にちっぽけな自分の存在を思い知った。
 この二度の旅によって、私の人生観や宇宙観の基礎が固まった。そしてそれは延々といまの自分の姿へとつながっている。
 自然素材を主とした家を作り、地球になるべく負荷をかけない生き方、暮し方を実践している背景も、きっとここにある。

 見上げれば空があり、宇宙がある。ひれ伏せば大地があり、木々がゆれる。そこにきっと神がいる。

2006年9月6日水曜日

クラフトペン立て

 30年近く使っている手製のペン立てが机の上に6つある。
 以前に勤めていた会社にロール式のコピー機があり、用紙の芯が厚いクラフト紙を重ねた円筒で出来ていた。
(これは使える…)と直感し、無造作にゴミ箱に捨てられていたものを、ひそかに自宅に持ち帰った。


 直径が約9センチで、ノコで半分に切ると高さがおよそ10センチ。底に厚紙で蓋をすると、程よいペン立てになった。

 そのままずっと使っていたが、汚れが目立ってきたので、余っていた色画用紙を貼ったのがいまの姿だ。デザイン的な配慮で、本体と縁とで画用紙の組み合せを微妙に変えてある。
 色鉛筆やマーカー、筆など、ジャンル別に分けてあるが、手描きの仕事がなくなったいまは、単なる机上の飾りと化しつつある。しかし、愛着があるので、たぶんずっとこのままだ。

2006年9月5日火曜日

セイタカアワダチ草

 家の三方を取り巻く空地は、不在地主が全く草刈りをしにこないので、春はフキの恩恵にあずかれるが、夏場はうっそうとした雑草に覆われる。
 陽当たりのよい南側空地には、背丈ほどに伸びたセイタカアワダチ草が、いまを盛りと咲き誇っている。外来種らしいが、ただの雑草かと思いきや、生け花の材料にも使われるらしい。そう言われてみると美しい気がしないでもない。


 ただ、窓近くに迫る雑草のたぐいは死角になりやすく、空き巣の絶好のターゲットになるとか。つい最近、同じ町内で1階北側がうっそうと雑草に覆われているお宅が、空き巣の餌食となった。
 美しさにダマされてはいけない。

2006年9月3日日曜日

リメイク座布団カバー

 居間中央にある掘コタツを中心にした「床に座る」という生活形態を長年続けているので、暮しの中で座布団の占める位置は極めて大きい。
 掘コタツ回りには合計6枚の座布団が常駐しているが、元々が結婚のときに妻が持ってきたもので、模様は和風である。そのままでは自然素材を主としたこの家にはマッチしない。

 そこで、端布を使い、部屋の雰囲気に合った座布団カバーをいつも自作している。だいたい数年で擦切れてしまうので、定期的に作り直す必要がある。生地は原則として余り物しか使わない。


 私が普段座っている座布団カバーにとうとう穴があいた。都合何度目かの作り直しである。今回は妻が若い時期に買い、いまは着なくなったジーンズのフレアスカートをリメイクすることにした。
 ミシンは中学生時代に覚え、結構得意だ。ズボンの裾上げなども自分でこなす。

 裁断に多少のズレがあったようで、縫い目が完全な対称形にはならなかった。しかし、それもご愛嬌。使い勝手に問題はなく、見た目もそれほど気にならない。
 生地が厚いので、今回はかなりもつだろう。「妻の若いときの思いを共有できる」という点でも、意味あるリメイクなのだ。

2006年9月1日金曜日

スリットベンチ

 居間の南側の窓下に、45×45のタルキを6本並べた手製のベンチがある。幅はおよそ3300、奥行きは390のロングサイズだ。
 右半分は座れるようになっているが、左半分にはテレビやDVDプレーヤーが置いてある。その他、植木や書類を置いたり、下には本や事務用品や古いビデオなども並べてあって、実に雑多な機能を持つベンチなのである。

 間は20ミリほど透かしてスリット状にしてあるが、これによって細い材料を無駄なく使い、無垢材の収縮による歪みを吸収し、通風をよくし、デザイン的な面白さも同時に得ている。


 実はこの「スリットベンチ」のデザインは、建築家の清家清先生の設計された家を雑誌で見てヒントを得た。清家先生からは家作りに関し、その他にもいろいろな影響を受けた。
 清家先生は娘が卒業した札幌市立高専の初代学長でもあった。娘にこの学校を勧めた大きな理由が、清家先生が学長でおられたことだった。札幌市立高専(現、札幌市立大)の斬新な校舎は、先生ご自身の設計でもある。
 その後、札幌国際デザインコンペで私が小さな賞をいただいた折、審査委員長をされていた清家先生から、親しく声をかけていただいた。縁があったのかもしれない。

 いつかNHKテレビで、清家先生が自ら設計なさったご自宅を紹介する特番があったが、なんと娘は招かれてそのユニークな家を訪問したことがあるという。幸せなヤツだ。
 清家先生のことに関しては、いつかまたふれたい。