2015年1月12日月曜日

バッテリ復活措置

 昨夕から今日にかけ、室内灯の消し忘れという初歩的な不注意でバッテリを上げてしまった車のリカバリ対策を実行。

 昨日のライブの帰り、別の用事があって息子と合流し、そのまま彼の車で家に送ってもらった。試しに息子の車でもバッテリ起動を試みたが、やはりうまくいかなかった。
 記録を調べてみたら、車を買って6年半が経過し、この間一度もバッテリを交換していない。昨秋の点検では特に指摘されなかったが、経年劣化が進んでいるバッテリを、この際自力で新品に交換してしまうのが、根本的解決になるのは間違いなかった。
 ネットで型番と価格を調べると、安いものでは3千円程度。ホームセンターなどでは廃バッテリの引取処分までやってくれるらしいので、息子の車で近隣のホームセンターを回った。
 しかし、どの店にも必要な「42B19L」のバッテリが置いていない。2軒目には互換性のある1ランク上の製品がひとつだけあったが、価格が7千円。しかし担当者が「三菱車のバッテリは自力交換しないほうが賢明ですよ」という。なんでも電気系統にトラブルが出やすいとか。
 意外な情報に、買うのはいったん中止して家に戻った。

 自力での交換経験が息子にはあったが、三菱車ではない。業者に頼むにしても、まずは現状でエンジンをかけてみる必要があるのではないか?という結論に至った。


 一夜明けて、加入しているソニー損保の故障担当サービスに電話してみた。ソニー損保ではJAFと連携し、バッテリ上がりや鍵の閉じ込め、ガソリン切れなどの故障は無料で対処してくれる。加入して5年目になるが、一度も利用したことはない。しかし、いまこそ試すときだ。
 現状を説明し、いったん電話を切る。すぐに連絡があり、30分ほどで担当者が自宅まで来てくれるという。以前にバックミラーを電柱にぶつける自損事故を起こした際もそうだったが、対応が非常に誠実で迅速である。

 ほどなくして携帯が鳴り、担当者がいま家の前にいるという。ドアを開けるとレッカー車が停まっていた。始動がうまくいかなかった場合、レッカーでそのまま運べるようにとの準備らしい。
 まずは強力バッテリでの起動を試みるということで、小型カバンほどの大きさの可搬式バッテリを使い、ブースターケーブルを接続。充電式らしく、他のケーブル類はない。
 担当者がエンジンキーを回すと、一発起動。あまりの呆気なさに、拍子抜けした。
 以前に馴染みの整備工場から聞いた通り、そのままエンジンを切らずに2時間連続でアイドリング運転を続けた。(エアコン、ラジオ、換気ファンなどは全て完全オフにしておく)つまりはエンジン回転による充電をしてやるわけで、過去2回の同じトラブルでは、この措置でバッテリ電圧は正常復帰している。
 その後エンジンを切り、何度か再始動させてみたが、いまのところ問題は起きていない。パワーウィンドウやバックミラー収納、半ドアなどの警告動作にも異常はない。しばらくは要注意だが、緊急のバッテリ交換は避けられるかもしれない。

 バッテリ電圧が一時的にゼロになってしまったせいか、時計やラジオ局の周波数登録、走行距離のカウントが全てリセットされて初期状態に戻っていた。過去2回にはなかったことで、他の車でのバッテリ起動がうまくいかなかったはずだ。
(購入してからの累積走行距離記録は、さすがに残っていた)
 今回でこりたので、諸悪の根源である天井室内灯のスイッチはオフの状態でテープ固定してしまった。今後は小型のLED灯を車内に常時置いておき、代用したいと思う。

2015年1月11日日曜日

綱渡り的新春ライブ

 市内のお寺での新春祈祷会コンサートに出演。依頼はネット経由でかなり前にあり、担当の住職Yさんには事前にチカチカパフォーマンスを聴きに来ていただき、その後会場となるお寺の本堂にも出向き、下調査まで済ませていた。
 PAは本堂に備えつけの立派な設備を使用することになり、持参する機材としては、電子譜面搭載のマイクスタンドとギターだけという軽装備。万事ぬかりなく、気がかりは豪雪による交通障害だけのはずだった。
 前日に大雪が降って今冬2度目となる陸の孤島状態に陥ったが、深夜になってようやく除雪車がやってきて、交通障害の不安は消えた。
 早めに起きて車庫前を除雪。念のため前夜から予備として準備したPA一式を車に積み込もうとリモコンキーを操作するが、なぜか全く動作しない。1年ほど前にも起きた電池の劣化かと考え、手のひらで温めてみたが、変化なし。
 やむなく直接鍵穴に入れてドアを開け、車を少し前に出そうとエンジンキーを回したが、うんともすんとも言わない。(しまった…!)と天井を見上げると、室内灯のスイッチがONのまま。消し忘れでバッテリが上がってしまったのだ。
 過去にも2度、似たような間違いでバッテリを上げている。またやってしまった…。

 短い時間で対策を考える。出発時間が迫っていたので、近所の方にバッテリ起動をお願いするしかない。隣家に駆け込んで事情を話し、ブースターケーブルでバッテリ間をつないで始動を試みるが、うまくいかない。
 大型の車に変えて再度試みても同じで、完全にバッテリがやられているらしい。この時点で車での移動をあきらめ、万一の豪雪に備えて前夜考えておいた、車なしでの移動を決意する。
 最低限の機材だけをまとめ、いつも頼んでいるタクシー会社に電話すると、5分ほどで玄関前まで来てくれた。時計は11時15分あたり。運休の多いJRは避け、最寄りの地下鉄駅まで移動。
 地下鉄なら乗り換えなしでお寺近くの駅にたどり着く。そこから再びタクシーに飛び乗り、当初予定してた12時ちょうどに先方に着いた。


 祈祷開始は12時30分で、それまでにマイクテストと住職Yさんとのオカリナコラボ演奏の音合せを終わらせる手はずである。挨拶もそこそこに、会場にマイクスタンドを置き、数曲をテスト。突然のトラブルで自宅での練習が全くやれなかったので、いいリハーサルになった。
 やや不安だったギターのマイク録りは、小型の無線マイクの感度がよく、DIYで作ったマイクホルダにもクリップやテープなしで、うまく固定できた。

 150席ほどの椅子が整然と並んだ会場は、じょじょに埋まって祈祷の開始までには、ほぼ満席に。私も会場の片隅で祈祷に参加させていただいた。宗派は異なるが、同じ仏教なので抵抗はない。
 読経がやや伸びて、13時35分くらいから私の歌が始まる。リクエストやコラボ演奏を含め、ぴったり40分で13曲を歌った。

「北国の春」「おかあさん」「ソーラン節」「知床旅情」「幸せなら手をたたこう」「リンゴの唄(全員で)」「バラが咲いた」「高校三年生」「酒よ」「月がとっても青いから」「酒と泪と男と女(リクエスト)」「どんぐりころころ(オカリナコラボ演奏)」「青い山脈(全員で)」


 会場の年齢層は40〜80歳といったところ。子供の姿もちらほら見える。事前の打合せで介護施設でのセットに準じたものをと言われていたので、昨年暮れの介護施設ライブで好評だったセットを中心に構成した。
 開拓時代から100年以上も続く曹洞宗の由緒ただしき寺である。全道各地から集まった30人を超す僧侶による読経は厳粛そのもの。その直後の会場は荘厳な気分がまだ隅々にまで漂っていて、非常に難しい場となった。
 全体的に場の反応は弱く、自然発生的な手拍子は少なかった。最も湧いたのは「幸せなら手をたたこう」。「リンゴの唄」「青い山脈」は事前に歌詞カードが配られ、全員で歌った。
 出掛けのトラブルの影響もなく、声はまずまず出たが、スピーカーが全て天井に埋め込まれていて、音が上から降ってくる感じ。モニターはしやすかったが、歌が聴き手にどう届いていたかは、よく分からなかった。


 時間がやや余ったので、9曲目を終えた時点で、1曲限定の先着順でリクエストを募った。10曲目を歌う間に考えていただく趣向だが、終わるとすぐに手が挙がって「河島英五をぜひ」との声が3列目あたりの中年婦人からかかる。
 ただちに歌い始めようとしたら、千昌夫の「味噌汁の詩」が続けて後列の男性から飛び出す。時間的に厳しく、そもそもレパートリーにない。お断りせざるを得なかった。

 これまで経験のない場だったので構成は手探りだったが、思っていたより年齢層の幅が広く、フォークやシャンソンなど、新しい曲をもっと混ぜるべきだったかもしれない。しかし、担当の若住職Yさんのイメージには沿った内容だったと思う。
 なにより、まるで昨年暮れの豪雪によるライブ断念の悪夢を再現させるようなトラブルに遭遇した割に、大きなキズもなく無難に場をこなせたことを喜ぶべきであろう。

2015年1月10日土曜日

親子で果実酒

 正月休みで帰省した末の息子が、バックからいきなり1.5Lのペットボトルを取り出した。中身は黄色い液体で、一見お茶ふう。冬の帰省は車を使わずにJRを利用するので、なにゆえ嵩張る容器など…?といぶかったが、実は中身は梅酒だという。
 なんでも、私が庭のラズベリーを使った果実酒を仕込んだことをブログで知り、(よ〜し、俺も…)と、手頃な梅酒を作る気になったらしい。専用の瓶やら梅は自ら調達、レシピも自分なりに工夫を加え、いい感じの仕上がりだという。

 元来料理を苦にしないタチなので、果実酒などその気になればわけもないことだろうが、一人暮らしの若い独身男に、梅酒はどことなく不釣り合いな気がしないでもなかった。


 ブログには書きそびれたが、私の仕込んだラズベリー酒も12月上旬に飲み頃となり、妻には「甘すぎる」と不評だったが、炭酸で割ってときどき飲んでいる。
 息子の梅酒もさっそく飲んでみたが、甘さを抑えたサッパリした飲み口で、なかなかいける。息子は帰省中にもジャンジャン飲んでいたが、残った分は置いていった。

 夕食時に両方の果実酒を食卓に並べ、飲み比べてみたが、甲乙つけがたい。当初甘すぎた感じの我がラズベリー酒も、その後の熟成が進んだせいか、上品な味に仕上がってきた。対抗するわけではないが、ルビー色の鮮やかさでは引けをとらないはず。
 若い女性の意見も聞いてみたいので、近いうちに長男のお嫁さんにも飲み比べてもらおう。
 明日に迫った市内お寺での新春祈祷会コンサートに備え、あれこれと準備した。PAは本堂に備えつけの有線マイクと無線マイクを使う予定だが、万一に備えて交流式PAセットも車に積んでおく。
 エレアコはライン録りではなく、リスクの少ないマイク録りでやることにした。それに合わせ、ここ数日の練習もマイク録りでやっているが、悩ましいのは使うギターの選択。直前まで迷ったが、シャープさには欠けるが、音色が柔らかでボーカルの邪魔をしないヤマハのエレアコに最終決定。

 問題は明け方に降った30センチ近くの雪で、22時を過ぎても除雪車はやってこず、昨年暮れと同じ陸の孤島状態。万一明朝までにやってこなければ歩いて行くことも想定し、その具体的手段についても詳しく調べた。
 真冬のライブ活動、本当に神経を使う。

2015年1月7日水曜日

非常時対策が活きた

 早朝に起きて、妻の失保関連の用事につきあう。都心近くにあるハローワークに朝一番で行くのだが、真冬になるまでは妻一人で通っていた。
 しかし、数日前から悪天候襲来の予報が繰り返されている。それでなくても、凍結路を歩くのは厳しい。HPには記載がなかったが、グーグルマップで駐車場があるのを確認し、車で出かけた。
 用事は1時間で終わったが、慣れぬ早起きで眠気に襲われ、待合室ではずっと寝ていた。

 帰路にスーパーに立ち寄り、食材を調達。暴風雪で閉じ込められる可能性があるので、真冬の食料備蓄は必須である。
 風は強いが、雪はこの時点でまだ降っていない。午後から悪化する予報だったので、そそくさと家に戻る。


 夕暮れが近づくと共に、次第に雪が混じり始め、風はますます強くなって家がきしんだ。都心では瞬間最大風速が28メートルを突破した。
 最寄りのJRは運休となり、高速道も通行止め。千歳発着の航空便は夕方から全面的に欠航となった。
 ぎりぎりまで迷った今日のチカチカパフォーマンスは結局エントリーを断念したが、その判断は正しかったようで、数日前にエントリーしていたジャグラーの方は、悪天候で機材の搬出が不可能となり、先日の私同様、当日キャンセルするとの緊急メーリングリストが回ってきた。
 明日も引き続き暴風雪の予報なので、チカチカパフォーマンスの実施は無理と判断。エントリーは再び見送ることにした。

LED灯6.6W・フラッシュなしで撮影

 夕食前の弾き語り練習を終え、PCに向かっていたら、突然電源が落ちて家中が真っ暗に。あわてて外を見る。周囲の家々や街灯も全て消えている。強風による停電だ。時計を見ると、18時45分あたり。
 電灯はもちろん、電源が必要な暖房ボイラも同時に止まる。IHヒーターによる調理も出来ず、給湯ボイラが動かないので、シャワーを浴びることも叶わない。

 幸いに、ご飯は炊きあがる寸前で、どうにか食べられる状態だった。数分待っても復活する気配はなく、まずは電灯を点けることにした。
 ライブ用に買った小型の交流バッテリがあり、100V100Wまで使える。これまたライブ用のスポット灯を2階から降ろし、DIY作業用の脚立を壁に立てかけてクリップ固定。バッテリは定期的に充電しているので、一発で点灯した。
 電球は6.6WのLED灯なので、理論上は連続13時間使える。写真のように、1灯でも充分に明るい。(非常用電源としても使えるはず…)と、想定して買ったが、まさかそれが本当に活きるとは。
 ラジオをつけて情報を収集するが、地域的な停電のせいか、詳細は分からない。都心に住む長男に携帯で電話してみたが、仕事なのかつながらない。
 夕食はメニューを急きょ変更し、調理不要のコロッケに。お茶が欲しかったので、キャンプ用の石油ストーブを持ちだしてきて着火。ヤカンでお湯を沸かし、ついでに湯豆腐にするはずだった豆腐を使って味噌汁も作った。残り物のコマイを網に載せて温める。
 室内でストーブを炊いたこともあってか、暖房が消えた室内の温度は20度強をキープ。換気は動力無用のパッシブ換気なので問題ないが、ストーブ燃焼による一酸化炭素発生が気になり、いつもよりやや排気口の開放度を上げた。

 無事に夕食を終えた19時40分ころ、ようやく電気は全面復活した。正味1時間ほどの停電だったが、厳寒期の暗い夕食時という最悪条件の割に、ダメージは最小限で済んだ。
 4年前の東日本大震災の折、非常時だけでなく、平常時にも使えるという視点からさまざまな備品をそろえ、日頃のメンテナンスも怠ってなかったが、思わぬ場面でそれが活きた。

2015年1月3日土曜日

あるがままに

 元旦以来、ずっと氷点下の真冬日が続くが、冬至も過ぎて春を予感させる晴天。しかし、玄関前には未明にやってきた除雪車が置いていった雪山が。
 電動除雪機をまたまた出動させるのは面倒だな…と思っていたら、作業の大部分は帰省中の息子がスコップでやってくれた。

 アルコールは控えめにし、節制に努めているせいか、今年は年末年始の体重増加が少ないはずだったが、それなりに増えて最近の上限値である53Kgを軽くオーバー。
 今日はアルコールを完全に抜き、ほぼ通常の生活ペースに戻した。


 夕方、東京在住の友人に年賀の長電話。いつも元旦に必ず賀状が届く几帳面な方だが、年末にインフルエンザにかかったらしいという情報を、他の方の賀状から知る。今年のインフルエンザは相当しつこい。
 私たちよりも年齢が上の方なので、話題は結局互いの健康や行く末のことに向かう。そんな世代だ。
 昨年末にクリスマスカードをいただき、そのままになっていたカナダの友人に、ようやく返信の年賀状(新年カード)を記した。子供たちの国際交流ホームスティで知り合い、以来30年近くも交流が続いている家族。互いの近況や写真を毎年交換していたが、昨年はなぜか手紙が途絶えた。
 このまま関係が途切れるものと思っていたら、2年ぶりに届いたカードと写真。返信が遅れた最大の理由は、一昨年末に患った自分の病気のことを記すべきか否かを迷ったからだ。

 熟慮のすえ、経緯を具体的に書くことにした。新年のカードに相応しくない内容とも思えたが、「それでも前向きに明るく生きています」と、今の心境を率直に記した。
 当時11歳だった相手の子供は、すでに40歳。引率で同行したお母さんも、我々より上の世代だ。隠すことなど何もない。

「あるがままに、なすがままに」〜Let It Be オリジナル訳詞より

2015年1月2日金曜日

初DIY

 大晦日に使った電動除雪機の調子がおもわしくない。モーター部は問題ないが、起動スイッチの具合が悪いのだ。ロックボタンを押して起動レバーを握っても、起動したりしなかったり。
 電気代を節約するには、除雪を終えて元の場所に戻る際には、モーターをオフにするのがポイントである。しかし、あまりに動作が不安定なので、起動レバーを握ったまま、モーターをかけっぱなしで作業せざるをえなかった。

 元旦の未明にまたしても雪が15センチほど降り、除雪機を使わざるを得ない状況になった。今冬早くも7度目で、あまりに多すぎる。調べてみたら積雪深は平年の2倍もあり、累積積雪量はすでに一冬分の40%にも達している。
 起動スイッチ不良のままでは先が思いやられるので、思い切って修理を試みた。


 買ってから早くも5シーズン目。小さなトラブルはあったが、心臓部に大きな問題はなく、非常に重宝していた。しかし、起動しなくなれば買い換えも覚悟しなくてはならない。
 分解修理は初めてだったが、持ち手部分にある7本のビスを慎重に外してみると、ロックボタンや起動スイッチのからくりが明らかになった。

 どちらもバネが仕込んであり、ロックボタンを押すと起動ボタンが解除され、小さなカムが押されて横に動き、端部にあるボタンが押される仕組み。
 思っていたよりも単純な機構で、トラブルの元凶は、接触部分の摩耗によって粉が発生し、プラスチック部の滑りが悪くなっていることだった。
 障害となっている粉を拭き取り、全体に油を塗って滑りを良くする。ついでに断裂していたコードカバー部も分解して修理した。
 元通りに組み立て直し、さっそく外で試運転してみると、起動ボタンは極めてスムーズな状態に復帰。買い直しは回避し、今後のメンテナンス手法にもめどがついた。
 本日の「初DIY」の難易度、5段階中の2といったところ。あきらめる前に、ダメモトで分解してみてください。

2015年1月1日木曜日

奇跡の初日の出

 朝7時半近くに階下の物音で目覚めた。妻がオセチ料理を重箱に移している気配がする。前夜は2時過ぎまでテレビを観ていたので起きるには早かったが、窓の外は明るく、もしかして初日の出が見られるかもしれないと、布団を抜けだした。

 階下に下りると、南側にある隣家の影がシルエットで浮かび、いまにも朝日が昇ろうとしている気配。札幌の初日の出は難しいと予報では言っていたが、どうやら外れたらしい。
 そのまましばし待っていると、東とは反対側の西南方向から、突然強烈な光が窓越しに差し込んできた。


 光はみるみる強くなり、居間を貫いて北側の浴室壁を赤々と照らしている。何ということか、昨秋に完成したばかりの西南の隣家2階の大きな窓に朝日が当たり、まるで狙いすましたかのように我が家に飛び込んでくるのだ。
 これほど奥深くまで陽光が入ってくること自体が初。光はゆっくりと部屋を動き、やがて彼方へと消え去った。その間、およそ数分。

 騒ぎを耳にした息子も起きだしてくる。まるで古代遺跡の特別な日に仕掛けられた奇跡のような初日の出を、家族3人で堪能した。


 その後2階に移動してみると、太陽はすでに南側隣家の屋根まで昇っていた。特に縁起をかつぐわけではないが、今年は幸先がよいかも…、良いことがたくさん起こって欲しい…、そんなことをつい願ってしまった。
 2度寝したあと、10時過ぎから新年の宴開始。前夜も充分に飲んで食べてはいるが、こんなゼータクが許されるのも、正月であればこそ。
 いつもと変わらぬ定番オセチだが、今年も美味しくいただいた。


 夕方、インフルエンザでダウンしていた長男夫婦が年始の挨拶に車でやってきた。充分に休息したお嫁さんはすでに回復して面会もOKだったが、息子は熱は下がったものの、まだ安静期ということで、接触は不可能。車に乗ったまま、窓越しに挨拶を交わしただけだった。

 それでも土産品や心尽くしの品などを互いにやり取りし、玄関先でしばしの交歓。来年はごく普通の平穏な年越しができることを願うのみである。