2011年12月9日金曜日

皮肉な逆転現象

 今年の総括をする時期となったが、仕事の量は開業の年を別にすれば、開業以来29年で過去最低の受注量である。反対に、弾き語り活動の数は再開して7年となる過去最高の32回(予定を含む)で、こちらは過去最高記録。
 特に後半期は日々ほとんど遊んでいるような状態だったが、それでも何とか食べてゆけるのは、29年の自由業歴で学んだ「いいときには備蓄に努める」という必殺ノウハウを活かしたことと、60歳から細々と支給され始めた厚生年金の一部(報酬比例分)の恩恵だろう。

 どっちにしても、こうした仕事と道楽(趣味)の皮肉な逆転現象は、来年からどう生きてゆけばよいのかを、強く示唆するものだと考えている。


 夕方、昨日完成したカエルオブジェを車に積み込み、凍結した道を慎重に運転して展示会場となるカエルヤ珈琲店に届ける。事前にメールで全体写真を送ってはあったが、現物を見て店主のU子さんは「力作ですね!」と、たいそう喜んでいた。
 来年1/10から実施の「豆だらけ展」というイベントで初披露となる模様。案内状にも画像を入れてくれるらしい。展示後にまた告知します。
 その後、某ウクレレ&ギターライブにも参加。以前から気になっていた奏者とボーカリストだったが、場当たり的なトークがなかなか面白かった。狭い会場だったのでボーカルマイクなしでやったことも新鮮。ただ、声の太い人はともかく、細い人にノーマイクは聴き手としてやっぱりキツい。
 2時間近くやった割には曲数が13曲と少なめだったが、90分で20曲近くは軽く歌う私が逆に多すぎるのだろうか?と考えてしまった。「無用なMCはいらないから、曲を多めに」という妻が一緒でなくてよかった。

2011年12月8日木曜日

「カエルの森」完成

 ずっと打ち込んでいいたカエルのオブジェ「カエルの森」がようやく完成した。カフェの展示用だが、横56cm×縦38cmのガリ版の箱を開き、そこに小宇宙を創り上げるというのが基本コンセプト。
 依頼先がカエル狂のためのカフェであり、交代制で展示するというデザインワークのトップバッターを仰せつかった。ネタは何でもよかったが、最初はやはりカエルだろうと、手近な素材をかき集めてカエル作りに勤しんだ。

 当初のイメージに沿って作り続ける途中、店主のアドバイスや新材料の提供などがあり、新しいアイデアの展開なども重なって、ようやく完成に至った。


 素材には晩秋の剪定で発生した自宅の庭木を主に使い、一部に空き瓶の蓋や捨てた衣類から取り外して保存してあったボタンも使った。ベースとなる背景下地には端布を敷き、地面のイメージとなる床面には森の収穫としての豆や木の実を撒いた。
 結果として買った材料はゼロ。この種のデザインワークには金を注ぎ込むケースも少なくないが、私は使わない方針。それが自分の生き方であり、デザインといえども、あくまでその延長線上にある。

 写真は工房での作業中のもので、かなり散らかっている。完成した姿はどうぞお店にてご覧ください。(近日中に公開予定)

2011年12月6日火曜日

カエルの森


 作成中のカエルオブジェ「カエルの森」が徐々に形になってきた。ベースとなる箱の内側にそれぞれ白(生成)と茶の布を貼り、出来あがったウッディガエルのいくつかを仮置きしてみた。
 森の主となる大型のカエルの目は、ひとまず黒いボタンを使ってみたが、いまひとつしっくりこない。そこで当初のイメージ通り、濃青のビー玉をに変えた。光の具合によって怪しく色が変化し、主に相応しいカリスマ性が出てくる。
 中型と小型のカエルは7個作ったが、どうも足りない印象。急きょ5個を追加することにした。今後これらのウッディガエルを箱内部に固定し、さらには枯れ枝で作ったツリーを左右に配置し、その枝に金属製のサイバーガエルを吊るす予定。

2011年12月4日日曜日

丸太の輪切り

 毎日少しずつノコを入れていたカエルボス用の丸太を、昨夜でようやく切り終えた。ノコが貧弱なので両手で引いてもなかなか進まない。回しながら引いていたら、最後のほうで一部が欠けてしまった。どうやら経年変化で入ったヒビが原因らしい。
 やむなくホワイトボンドで接着。隙間には丸太の切りくずをホワイトボンドで練って充填する。一晩おいたら、どうにか形になった。


 直径は20センチくらいと見積もっていたが、切り終えて測ってみると、最大で24センチもある。手間がかかるはずだ。
 田舎に住んでいた10歳くらいの頃は、冬ごもり前に同じような寸法の丸太を薪にするべく、毎日切り続けるのが私に課せられた仕事だった。当時は刃渡りの長い丸太専用のノコがあり、父が作った立派な薪切り台もあったので、作業はもっと簡単だった気がする。ちょっと当時を思い出してしまった。

 このあと形を整えてからカエルの目となる細めの丸太を輪切りにする予定。目玉はビー玉を使ってみようか、口は太めの枝を使おうかと、あれこれ画策中。お金でもボランティアでもない不可思議な作業は、まだまだ続く。

2011年12月3日土曜日

J1昇格を見届けた

 J1昇格がかかる地元コンサドーレ札幌の最終戦を見届けに札幌ドームまで出かけた。妻は仕事でキックオフには間に合わない。私の単独行動である。
 札幌ドーム周辺に駐車場はなく、あっても遠くて混んでいる。ちょっと迷ったが、最寄りの地下鉄駅近くまで車で行き、近隣の駐車場に車を停めて地下鉄で向かうことにした。

 朝の新聞に「前売り券3万5千枚が完売」とあり、当日券はシニアと学生、身障者等特別枠が各1,000枚あるだけだという。売り切れで入れず、という事態も充分考えられたが、「出かけるイベント」と割り切り、まずは行ってみることにした。
 地下鉄は終点から終点までの長い区間だが、わずか25分で着いた。冬の移動は安全確実な地下鉄に限る。


 会場近くの駅にはキックオフの1時間以上も前に着いたが、そこから会場までが大変な混雑。シニア券は何とか手に入ったが、観戦する席にたどり着くまで40分もかかった。

 会場はすでに熱気に包まれていて、熱心なサポーターによる応援合戦が始まっている。シニア券はどの自由席でも座れるが、どこもひどい混雑ぶりで、入れたのは対戦相手のFC東京アウェイ席に近い場所だった。
 本来はアウェイ用の自由席らしいが、今日に限ればゴール裏のアウェイ専用席以外はすべてコンサドーレ応援席、という感じである。ただ、座れそうな席は皆無で、やむなくスタンド最上段の通路最前列で立ったまま観戦することに決める。
 応援ユニフォームは持っていないが、背中にはスーパーで買ったオニギリとお茶を入れた真っ赤なリュックを背負い、首には赤と黒のツートンカラータオルを巻く。遠目からはチームカラーを身につけた立派な札幌サポータースタイルだ。
 5分遅れの12時35分キックオフ。最初は動きがやや硬かったが、展開としては互角。あっという間に時間が過ぎ、このまま0:0で前半終了か…、と思い始めた矢先、流れるような展開から続けざまに点が入る。狂喜乱舞のスタジアム。思わぬ展開で、2:0で前半を終える。
 途中、入場者数の発表があったが、何と39,300名弱という驚くべき数字。前回のJ1時代、対横浜マリノス戦で同じような数を記録しているらしいが、体感的には身動きも出来ない満員状態だった。

 ハーフタイムで息子にメールし、争っている対象チームの徳島が前半を0:0で終えたことを知る。後半はやや守りに入った印象で、防戦一方の展開。残り10分にとうとう得点され、2:1となってしまう。
 以前に息子に聞いたことがあるが、サッカーで2:0の展開は非常にやりにくいという。緊張感の維持と共に、1点入れられた場合の焦りが加わるからだそうで、残り10分を地鳴りのような応援と祈りがスタジアムを包む。考えていることはみな同じだった。

 やがて終了の笛。キーパーのスホン選手がゴール前で倒れこんで泣いている。近くにスマホを持っていた人から、徳島が負けたことを知る。悲願のJ1昇格決定だった。
 1997年にJFLで優勝し、J昇格を決めた試合にも立ち会っている。以来14年ぶりの観戦だったが、私が立ち会った試合は負けない、というジンクスは生きていた。
 この日使ったお金は弁当代を含めても1,800円ほど。シニア券1,000円は非常にありがたい。弁当類は会場では高くて並ぶので、コンビニ等で買ってゆくのが正解。飲物類は入口でチェックされ、紙パック製品以外は蓋付紙コップに移し替えを要求される。
 あとで知ったが、「ドニチカ切符」というものを買えば、終日500円で乗り放題だったらしい。遠方の場合はこちらを利用するほうがお得。

 多少の計算違いもあったが、安上がりで気軽に楽しめる場所をまたひとつ見つけた。来年は日ハムの観戦も含め、札幌ドームにときどき出かけてみようかと思う。

2011年12月2日金曜日

気分だけクリスマス

 一昨日のカフェ・カエルヤでのカエル談義で、持参したさまざまな手作りカエルを前にして「もっと巨大なカエルがド~ンとあったらいいんじゃないですかね」と、店主のU子さんがいう。
 同じことは考えていたが、残念ながら手持ちの丸太の最大径は10センチ程度。するとU子さんが、「丸太なら太いのありますよ」と、裏手から直径20センチ以上もありそうな丸太を抱えてきた。以前に台風で札幌の街路樹がバタバタ倒れた際、市民に無償提供された木の一部をもらい受けたのだという。

 この丸太からなら、確かに大ボスにふさわしいカエルが作れるわいと考えたが、現状では長さ1Mはあり、問題はこれをどうやって輪切りにするかだ。しかし、大ボスガエルの味は捨てがたく、ひとまず車に積んで預かってきた。


 昨日からセッセと切断に励んでいるが、剪定用の小さなノコではさすがに手強い。実家に行けば長いノコはあるが、それだけのために行くのもおっくうである。
 玄関土間に転がし、休みながら切っているが、ようやく半分ほどを切り終えたところ。切り離すまでには、かなり手間取りそうな気配だ。

2011年12月1日木曜日

ブログの一文が入選

 終日気温がマイナスだった氷漬けの午後、インタホンが鳴って書留が届いた。何ごとかと封筒を見ると、父が眠る霊園の管理会社からである。そこでふっと閃いた。(以前に投稿したエッセイに関する内容ではないか…)
 急ぎ封を切ると、当たりである。かなり前に投稿し、すっかり忘れていたエッセイコンテストの連絡で、優秀賞に入選したという。副賞として2万円相当の商品券も同封されていた。パッタリと仕事の途切れた悲惨な状況のなか、まさに「天からの恵み」のようなアリガタイ話である。


 実はこのエッセイ、このブログに昨年記した「夕陽の霊園」という内容を元に大幅リライトしたもの。このままでは使えないので、一部に小説的手法を使った苦心の作である。

>「おじいちゃん、いい所に眠っているね」と、期せずして妻が言う。どうやら妻も同じことを考えていたらしい。

 ここがエッセイの核になる部分で、これを中心に全体をふくらませた。

 幾度も推敲を重ねたので、書き上げた直後はけっこう自信があった。しかし、自己陶酔は物書きの特質でもある。投稿後の月日が流れるうち、自信は次第に不安に変わり、やがては記憶からも遠ざかってしまうのもまた常なのだ。
 そんな投稿が忘れた頃にこうして結果を伴って蘇ると、正直うれしい。出口の見えない不況でこのところ塞いでいた気分も晴れるというものだし、「ネット上のエッセイとして今後もブログを書き綴る」と最近豪語したばかりなので、いちおうその面目も保ったことになる。
 入選作は今後霊園の広報チラシ、機関紙、HP広報などに使われるそうなので、全文を公開することは現時点ではできない。今後ネット上などで読める状態になった場合、後日このブログにて告知したいと思う。
 ともかくも、消え物としてのブログがこうして見える形として実ったことを、ひとまず喜びたい。