2023年1月30日月曜日

記録的低温

 このところ日最低気温がマイナス10度以下の厳しい寒さが連日続いていて、昨夜寝る前に外気温を確かめると、マイナス15度という低い数値。近隣アメダス値ではもっと低いマイナス18度だった。
 暖房ボイラを切って眠ると、朝6時にタイマー点火しても室温の立ち上がりに時間がかかる。電気代の高騰で控えていたが、昨年の厳冬期に試みた暖房ボイラの24時間連続運転を再び試すことにした。

「就寝時の外気温がマイナス10度以下」という限定ルールだったが、今冬はすでに3度目。多少の電気代はやむを得ない。


 明け方5時にトイレに起き、窓越しに外の寒暖計をのぞくと、マイナス18度という信じがたい数値だった。ブログ記録によれば、2010年2月にマイナス19度を記録していて、それ以来の低い数値。
(起床後に調べると、近隣の石狩アメダスでは6時半にマイナス20.5度という観測史上10番目の低温を記録していた)
 あわててボイラ設定温度を45度から55度に上げる。テーブル上には先に起きる妻宛に「起きたら70度に上げて」とメッセージを残す。布団に戻って、2時にタイマーオフした電気毛布を再びオンにした。
 起床後も室温はなかなか上がらない。暖房ボイラ終夜運転にも関わらず、2階室温は13.9度まで下がっていた。ただ寒いだけで、雪は全く降らないのが救いといえば救い。
 11時くらいから陽がさしてきて、いつもなら暖房を切る午後になっても室温は21度ほど。結局この日は終日暖房を点けたままだった。


 近隣の家ではボイラの排気筒下に地面から逆向きのツララが50センチほど立ち上がっている。排気に含まれる水蒸気が寒さで凍結したものと思われるが、初めてみる景色だった。

 自宅の窓結露はプラダン内貼の対策が効いて雑巾でぬぐえる程度で収まっていたが、玄関ドア下端に白い氷の膜が数箇所発生していた。スクレイパーで剥ぎ取ってドライヤーで乾かしたが、入居後23年目にして、初めての経験。
 調べると、ドア枠周囲に貼ってあるゴムシールが経年劣化でつぶれ、下端部にわずかな隙間ができている。ここから侵入した冷気が室内水蒸気を一瞬で凍らせたようだ。
 交換は簡単にやれそうだったが、厳寒期の作業は避けたい。応急措置として、ガムテープを加工してひとまず隙間を塞いだ。雪解け以降に対処しよう。

 我が故郷、道北の幌加内町では、今季最低のマイナス32.6度を記録している。私が住んでいた幼少期にも数回経験したが、ここまで下がると「寒い」という感覚は消え、「痛い」という不思議な感覚に陥る。

2023年1月25日水曜日

プリンタが復活

 全国的に厳寒&暴風雪警報が発令されていて、当然ながら札幌もその例外ではなく、昨夕から急激に気温が下がり始めた。
 ちょっと迷ったが、いつも通り暖房ボイラは0時にオフにし、6時に80度の最高温度設定でタイマー点火。起床時の2階室温は13.4度まで下がっていたが、電気毛布の恩恵で寒さで目覚めることはなかった。

 風は台風なみに強く、最低気温は−12.9度。最高気温は−9.8度までしか上がらなかったが、幸いに積雪はそれほどでもない。風で運ばれた吹き溜まりを除雪する程度で済んだ。
 食料品は昨日まとめ買いしてあり、出かける必要はない。日曜に頼んだプリンタ関連の備品が午前中に届き、家にこもってプリンタの修復と溜まっている印刷物の処理に励む。


 事前チェックでは黒インクの互換性に問題があるはずで、新しい黒インクに交換しようとカートリッジのシールをはがしたら、空気穴からインクがにじみ出てきた。普通ではありえないことで、明らかに輸送中にインクが凍って溢れている。
 調べると、凍結したインクは室温で3時間放置すると自然復帰するらしい。空気穴はふたたびテープで塞いだ。

 気を取り直し、詰まっている青と黒インクのノズルを強制洗浄することにした。2014年に買った洗浄液を使い切ってしまい、新たに注文した洗浄液(アマゾンで460円)を使う。
 手法がこれまでとやや変わり、全てのカートリッジをいったん外し、問題のあるノズルだけを洗浄する。洗浄後の放置時間が以前の60〜120分から、20〜30分に短縮された。


 作業が終わってカートリッジを元に戻そうとしたら、互換性に問題があったはずの黒インクの空気穴シールが貼ったままなことに気づく。セットする際にはがすのを忘れていたらしい。
 シールをはがして再セットし、ノズルクリーニングを実行後にテスト印刷してみると、ようやくまともな印刷が可能になった。結果として黒インクは交換せずに済んだ。

 続けて溜まっていた印刷物を順に片づける。寒中見舞い、カナダへの年賀状と封筒、ライブ企画書、年1回更新の家族写真など、内容は雑多。
 半日乾燥させたあと、DIY封筒の切断加工や添え書きなどをする。郵便局等への持ち込みは暴風雪の行方次第で、明日以降になる。

2023年1月23日月曜日

赤いシャツを買い換え

 ここ数日、寒中見舞いを始めとする各種印刷物の原稿を作っていて、昨日までにようやく完成し、いざ印刷しようとしたら、なんとしたことかプリンタの調子が悪い。特定のインクの色が出ず、ノズルが詰まっているというエラー判定だった。
 年末にプリンタを使った際は問題なかったが、その後3週間全く起動させず、放っておいたせいだろう。人間も機械もときどき構ってやらないと、すぐにスネてしまう。

 いろいろ修復を試みたが改善しない。どうやら交換した黒インクの互換性にも問題があるらしい。やむなく新たに互換インク1セットとノズルクリーニング液を発注し、到着までしばし待つことにした。
 このところ、この種のトラブル続きで、ひとつ解決するとまたひとつ発生する。めげずに粛々と対応するしかないのだが。


 時間がぽっかり空いたので、妻を誘って午後からジョイフルAKとイトーヨーカドーに出かけた。ねらいはこの時期の冬物バーゲン。雪かきは一段落したが、明日午後から再び荒れ模様の予報。出かけるなら今日だ。
 ジョイフルAKで陶器製ソケットとガムテープをまず調達。支払いには投稿謝礼のギフト券を使った。
 ついでに木材売り場を探索。どの材料も以前の倍近くに値上がりしている。しばらくはDIY作業でも安易に材料を買わず、可能な限り古い材料でやり繰りすべきと悟った。
 隣りのイトーヨーカドーで妻と合流。セーターの下に重ね着する冬物シャツを見繕うと、手頃な品がなんと2つも見つかった。
 色はどちらもお目当ての赤系で、価格はどちらも2,200円。迷ったが、最終的には元値が4,400円と高く、原材料の一部に衣料廃棄物を使っているエコ製品に決めた。「持続可能な社会」を目指す姿勢は、衣類でも例外ではない。応援したい。
 ここでの支払いは、マイナポイントから交換した電子マネーが溜まっているnanacoカードを使った。1階テナント店でオヤツ用に買った今川焼きにもnanacoカードが使えた。結果としてこの日は全く現金を使わなかった。

 帰宅後に新旧のシャツを並べてみる。新しい方(チェック柄)がやや派手だが、年相応ともいえる。
 古い方は14年前の還暦コンサート用に買ったもの。襟が擦り切れて穴が開き、襟を切ってヘンリーネックとして着続けてきた。長い酷使に耐えてくれたが、これだけ着れば十二分に元はとっている。
 

2023年1月19日木曜日

サイドミラー修復

 手が空いたのでサイドミラーカバーの交換が可能になったと、自動車工場から朝イチで電話があった。

 予期せぬ接触事故で右サイドミラーのカバーが破損したのが1/4のこと。過失割合が5:5で各自が修理することで示談成立し、ただちに破損したミラーカバーを工場に発注した。
 ところが車体の色が特殊で、納期に1ヶ月かかるという。必要なのは車体と同色の上カバーと黒の下カバー。ところが下カバーの単品販売はやっていないことが後日判明した。


 解決策として右サイドミラーを丸ごと発注し、必要なパーツだけを取り出して使うか、中古パーツを探すかだった。
 丸ごと発注するとコストはアップする。保険は使わないので、修理費はなるべく安くあげたい。まず中古市場をあたることになったが、車のタイプが新しく、工場ルートには該当する品が見つからなかった。

 やむなく私個人でネット通販を探すと、対象の品がひとつだけ見つかった。該当ページを工場にメール連絡し、使えることを確認。ただちに購入し、取付けは工場に依頼することになる。
 ネット通販に発注したのが1/11で到着が3日後。すぐに工場に連絡し、じっと待って今日に至った。

 取付けには車の工場持ち込みが必須。先方の都合は今日か明日とのことだったが、明日から天候が大きく崩れる予報が出ている。動くなら空が穏やかないまのうちだ。午前中に行くと告げ、10時過ぎには家を出た。
 事故の後始末で再び事故ってはならず、20Kmほどある工場までの道は安全運転に徹し、普段の倍近い1時間かけて無事に到着した。

中古品でも状態はいい

 交換はわずか10分ほどで終了。車体と同色の上カバーはまだ入荷しておらず、中古品から取り出して交換したのは、下カバーと上カバー。
 上カバーの色は黒で、新品の上カバーが入荷するまでの間に合わせだが、周辺パーツが黒なので、それほどの違和感はない。上カバーの交換は雪解け後の1年点検時にやることになった。
 懸案事項だったサイドミラー破損問題がひとまず決着し、正直ホッとしている。

2023年1月16日月曜日

中綴じホチキスを修繕

 通算8度目となる地区センター図書館での本修繕ボランティアに参加した。新型コロナ感染拡大で前回は中止となったが、このところ感染は減少傾向にあり、安心感はある。
 いつものように11時に到着。係員と私を除く参加者は5名で、参加率は60%前後か。

 ただちに作業を始める。今回はこれまで経験のない中綴じホチキスのグラフ雑誌の補修。人気のある雑誌で貸出数が多いせいか、表紙から数枚分がホチキスから外れ、脱落している。
 まず係員と補修方針の検討をする。いったんホチキスを完全に外し、欠損しているホチキス穴を透明ブックカバーで補強。その後ホチキスを挿し直すことになった。


 ホチキスを外して欠損部を補修するまでは比較的簡単に終わったが、外したホチキスの歪みが激しく、そのまま挿し直すのは難しかった。
 プライヤーがあれば簡単に修正できるが、あいにく持ち合わせがない。工具ケースを探すと、接着剤を小分けするスプーンを発見。裏側を使って少しずつ歪みを補正し、どうにか使える状態になった。

 従来のホチキス穴が補修でふさがってしまったので、新たに穴を開け直す必要がある。精密ピンセットの先端で試みたが、うまくいかない。係員に確認すると、千枚通しがあるというので借りた。
 外したホチキスをガイド代わりに穴を開け、全体を整えてホチキスを挿し直したが、なぜかうまく収まらない。調べると開け直したホチキス穴に微妙なズレがある。
 一度に挿すのを諦め、表紙側から数ページに分けて少しずつ試み、ようやく成功した。

降ってもすぐ解けて、今年は少雪傾向

 挿し直しによって開いてしまった不要な穴のうち、ページめくりに障害のありそうな箇所を小さく切った透明テープで部分補修。
 ホチキスを止め直した部分には丸く切った透明テープを裏表から計4ヶ所貼り、さらなる補強を施す。1時間半に及んだ長い作業をようやく終えた。

 本の綴じ方にも各種あり、それに応じて壊れた方も複雑になる。単純そうに見えた本の修繕、まだまだ深い未知の世界がありそうだ。

2023年1月15日日曜日

音楽葬の音源

 以前からの懸案事項だった音楽葬用の音源をようやく整理した。
 そもそもの発端は70歳を機にまとめた家族むけの終活ノート。2年前の3月のことで、母の死が重なってやや遅れ、予定より1年延びた。

 遺産相続から始まり、葬儀のあり方や預金&不動産の詳細、介護や延命措置の希望、墓や仏壇の扱い、住宅の管理方法など記載内容は幅広い。子どもたちの意見も取り入れてUSBメモリに記録し、紙にもプリントして、いつでも閲覧可能にしてある。
 年に一度は内容の見直し&更新をし、その都度pdf化して子供たちにメール送信している。


 内容で唯一流動的だったのが、葬儀で流す音楽。私も妻も無宗教の音楽葬を希望していたが、流す曲は私が「自分のオリジナル曲」、妻が「カノン」と記しただけで、やや漠然としていた。
 お経の代わりになるものだから、長さとしては15〜20分は必要。構成をずっと考えていたが、それぞれの希望に配慮しつつ、結果として以下のようにまとめた。


「雨ニモマケズ:オリジナル作曲」
「夕凪ワルツ:オリジナル作詞」
「森の記憶:オリジナル作詞作曲」
「サクラ咲く:オリジナル作詞作曲」
「ピアノ協奏曲5番:Beethoven」


「カノン:Pachelbel」
「みじかくも美しく燃え:Mozart」
「ピアノ協奏曲5番:Beethoven」
 私は2012年に出したオリジナルCDからの曲を中心に、ストーリー性を加味して選曲配置。ラストにベートーベンのピアノ協奏曲を置いた。
 妻は希望するカノンを1曲目にし、2曲目には人生を想起させるモーツアルトのピアノ協奏曲を。ラストは私と同じベートーベンのピアノ協奏曲で共通性をもたせた。

 演奏時間はどちらも19分45秒。曲間の空白を併せると、20分という程よい時間に収まる。仮に法事にも転用した場合、ラスト1曲を省略して13分で収めることも可能だった。


 オリジナル曲のうち「森の記憶」は音質がやや劣るライブ音源しかなく、しばらく使ってなかった音声編集フリーソフトを数年ぶりに起動し、慎重に音を調整。場合によっては再録音も考えていたが、なんとか使えそうな状態に仕上げた。
  調整後の音源は「葬儀用BGM」と題してそれぞれフォルダに収納。終活ノートや葬儀用写真が入っているUSBメモリとICレコーダー内のSDカードに転送し、演奏方法は終活ノートに追記した。

 これにより、わずかに残っていた終活に対する憂いが解消され、つまりは「いつ死んでもOK」の状態になった。
 終わりの見えないコロナ禍、昨年の胃ガン告知と手術、すでに健康寿命を過ぎた我が身などをかえりみると、ようやく年相応の備えが固まった気がする。
 備えなくとも死は確実にやってきて、おそらく何とかなるに違いないが、自分の死後に禍根を残さないための小さな拘りなのだった。

2023年1月11日水曜日

太るための試行錯誤

 予期せぬ胃ガン宣告からその後の入院手術を経て、退院直後の体重は48.8Kgまで減った。入院直前が50.8Kgだったから、8日間で2.0Kg痩せたことになる。
 ネット上にある記録を読むと、ガンの手術により体重が減った人は数多い。私などまだ少ないほうだ。

 ガンが作り出す特有の物質で栄養素の代謝に異常が起こり、 その結果筋肉量や脂肪量が減少するのが体重減少の主な理由らしい。
 ガンは手術で除去し終え、代謝を妨害するものはないはずだった。退院直後から主に食生活の大幅な改善を試み、体重の増加を図った。
 病院栄養士の指導のほか、独自のネット調査も加味。まずは手術前の体重を第1目標とし、次にBMI18.5に達して標準体重の枠内に入る53.9Kgを第2目標とした。


「どうしたら痩せるか」の情報は巷にあふれているが、「どうしたら太れるか」の情報は、ほとんど見つからない。いかに世の人々が痩せたがっているか、という現実を思い知らされる。
 幼少時からスリム体質で、最も太っていたのが大学2年時の65kg。当時の身長からBMIを算出すると21.7となり、これでもまだ標準体重の範ちゅうだ。つまり、これまでの人生で一度も「太った」ことがないのである。

 運動過多は痩せる一方なのでほどほどにし、主な対策は胃腸に負担をかけずに栄養価の高いものを効率よく食べることだった。
 未だ試行錯誤中だが、現時点では以下の手法が効果的のようだ。

・朝食にチーズを1個、牛乳野菜スープを70cc追加。
・昼食になんらかの形でを1個食べる。
・3時のオヤツはパンビスケット類を充分に食べる。
・夕食に納豆高野豆腐を毎日食べる。
・就寝3時間前に牛乳70ccとビスケット類を軽く食べる。
・アルコール類は週に1〜2回程度で、深酒はしない。
 就寝前の同じ時間に体重を量って定期的に記録しているが、退院後2週間で入院直前の50.8Kgまで戻った。その後も順調で、1ヶ月後には51.8Kgまで回復した。
 55日後の11月末には7年ぶりに53Kgの大台に到達。短期間で4.2Kgも増やし、自分の手法に自信を持った。

 そのまま一気に標準体重へ?と期待していたら、53Kgを境になぜか増加がピタリ止まってしまい、一進一退。退院3ヶ月後の今日時点で53.2Kgである。どうやらこのあたりに大きな壁がありそうだ。
 以前のようにズルズル減る傾向はなく、食生活の改善方向は間違っていないと思えるが、あと0.7Kgに迫った標準体重まで戻すには、なにか別の方策が必要なのかもしれない。