2013年1月18日金曜日

長い長い冬

 昨夕から降りだした雪が一晩中降り止まず、朝になると玄関前が雪で埋まっている。2階から玄関前の車庫&物置を恐る恐るうかがうと、屋根には豆腐のようにこんもりと真四角な雪が盛り上がっている。
 あわてて雪をこいで外から確かめると、危険値(設計値)1メートルに限りなく近い。昨年12月にもやったばかりだが、2度目の雪下ろしをせざるを得ない状況だった。

 明け方までかかって仕事を納めた直後で、疲れてはいたが、妻の帰りを待って作業に取りかかる。わずか3メートルほどの屋根でも、落ち方によっては死ぬ。今年も多数の方が雪下ろしで命を落としている。妻がいる時に作業をするのは、万一を考えてのこと。


 雪はサラサラだが、最深部では80センチほどあった。近隣のアメダス記録では20センチしか降っていないが、自宅から3キロほど都心寄りにある最も近い土木センターの記録を調べると、一晩で概算値35センチほど積もっている。
 どうやら自宅周辺だけが集中的に降ったらしい。写真の灯油タンクの雪は除雪したばかりだが、一夜でこんなに積もった。外壁のビスの間隔(45.5センチ)から推測して、40センチ近くは吹き溜まった証拠である。


 時計を見るとちょうど1時間が経過している。連日の仕事と雪かきで腰が悲鳴をあげているが、まだ玄関前の除雪が手つかず。一服もせずに、そのまま作業を続けた。
 さすがに今日は今冬2度目の電動除雪機を使った。こちらは30分ほどで終了。家に戻って溜まっている8件分の修正仕事のうち、まず急ぎの4件分を順に片づける。
 ウッドデッキの積雪も1メートル近くに迫っていて、居間に面するテラス窓が半分ほど塞がった。しかし、あれこれ忙しいので、そこまで手が回らない。長い長い冬は、まだまだ続く。

2013年1月17日木曜日

吟遊パジャドール

 相変わらずデザイン系の仕事に追われる日々で、すでに納めた分の修正も戻ってきた。いまやっている分を明け方までにやり終え、明日からはその修正にとりかかる予定。
 今朝はさすがに布団の中で疲れを感じた。このところの風邪っぽい症状は、懸命の調整でどうにか治まった模様。下旬からライブがまた始まるので、喉を含めた体調管理が必須である。

 昼食にはウドンを作った。ウドン玉は冷凍の物をいつも使う。傷みやすい竹輪は冷凍保存しておいた物を1本だけ解凍して使用。乾燥エビも入れた。風邪予防にと、ネギを多めに投入。
 最近は流れ作業で短時間に作れるようになった。うまい。


「パジャドール」という言葉を最近知った。「菊地さんは、まるでパジャドールのようだ」と、ストリートライブで知り合った方から指摘された。
 ウィキペディアによれば、パジャドールとは19世紀後半ごろの南米で、ギターと歌で即興的な歌を披露した人、つまりは吟遊詩人のことだとか。「人生の喜び、悲しみを歌う」という部分がシャンソンによく似ている。
 しかし、歴史に残ったのがシャンソンであり、同じ南米ではフォルクローレであったのはなぜだろう。楽器がギターに特化しているのは、確かに私のスタイルと共通する。シャンソン系の歌を好んで路上で歌うスタイルも同じ。「似ている」と言われるのもうなずける。
 決定的に違うのは、パジャドールが即興歌を旨としていたところ。古い歌を中心に、時折オリジナルを交える私の構成法は、やはりシャンソンのスタイルに近い。

 いずれにしても、そのマイナーなイメージが逆にへそ曲がりな私の気を惹く。今後は「パジャドール菊地」をキャッチコピーにしようか。

2013年1月16日水曜日

夢を持ち続けよ

 75歳の女性が芥川賞に輝いた。最初に聞いたときは、一瞬ジョークかと疑ったほど。全くの無名で、これまで大きな文学賞に応募することもなく、何十年もひっそりと、ひたすら自分にむかって書き続けてきたとか。
 勇気づけられるニュースだ。60歳近くになってから日本地図を作ろうと思い立ち、それを実現させた伊能忠敬にも通ずるが、人生死ぬまで夢を持ち続けよ、というお手本と啓示のように思える。


 文学や歌で人に並び、そして先んずるには、年をとればとるほど不利であるというのがこれまでの定説で、私もそんな事象を身辺でしばしば実感していた。しかし、そんな考えは誤りで、もはや古い価値観といえる。
 年を重ねてみて初めて見えてくるものが必ずあるはずで、それを感じ取って表現すればよい。思いを新たに歌い、そして書き綴ることにしよう。


《本日の練習曲》
「異邦人」「イエスタディ」「恋心」「もっと(オリジナル)」他10数曲

 明日をめざして今日も粛々と練習に励む。要は目立たない日々の積み重ねである。

2013年1月15日火曜日

年金浦島

 日本年金機構から連絡があり、5年前に亡くなった父の古い年金記録らしきものが見つかったので、確認をとりたいという。書かれてある情報は年金の種類(厚生年金)と加入脱退年月日のみ。
 記録が非常に古く、昭和17年から20年までの3年半ほど。途中半年間だけ抜けていて、正味3年ほどだった。

 昭和17~20年といえば、私の生まれる7年も前のこと。4人兄弟のうち、まだ上の2人しかこの世にはいない。当時の記録は当然ながら全て紙で、その古い台帳と現存するコンピュータ記録とを突き合わせた結果、父のものらしき記録が見つかったのだという。
 行方不明年金(消えた年金)が世間を賑わして久しいが、地道な作業はその後も延々と続いていたようである。公務とはいえ、さぞかし大変な作業であろう。頭が下がる。


 見つかったそれぞれの記録に関し、わずかでも心当たりがあれば、その加入時期の会社と所在地、あるいは住んでいた住所などの情報を可能な限り記入して返送して欲しい、とある。
 老人ホームにいる母は最近物忘れが激しく、70年以上も前のことを思い出させるのは難しい。しかし、まだ自分が生まれていないこの時期の家族の様子を、なぜか私はよく知っていた。

 幼少のころ、寒い時期に薪ストーブを囲んで、よく父や母に昔のことを尋ねた。父は出稼ぎの大工をしていたが、私が生まれる以前は近くにあったクローム鉱山の軍需工場で、技師として働いていたという。
 大工の腕以外に、父は機械や電気等の幅広い知識と技術があり、社員として重宝されたようだ。終戦と共に外国産の安いクロームが輸入されるようになり、工場は閉鎖された。
 当時住んでいたのは道北の幌加内町政和地区である。駅から4キロほどの山奥にクローム鉱山はあった。私はその軍需工場の社宅で生まれた。
 小学生のころ、閉鎖された鉱山に一度だけ行ったことがある。かって父が働いていた場所を、自分の目で確かめたかった。草深い中に黒い穴がぽっかりと不気味に空いていて、古い木材がかろうじて入口を支えていた。怖くて中に入れず、外から眺めただけで帰った。
 家でそのことを母に話したら、あそこは危ないから2度と行ってはいけない、と静かに諭された。

 見つかった年金記録は年月日から考えて、その鉱山に勤めていた時期のものであることは間違いない。だが、年金機構への提出書類には、なるべく正確な社名と住所を書く必要がある。
 数年前に幌加内町在住の知人経由で「幌加内町史」の最新版を手に入れたことを思い出した。1600ページもある分厚い本で、町民価格の5,000円で譲ってもらった。自分の生まれ育った町の歴史を、ぜひとも知っておきたかった。
 本を開くと、クローム鉱山を経営していた会社の正確な名称もちゃんと記載がある。所在地はかっての私の本籍で、ちょっと長いが、いまでもスラスラと出てくる。この2つを記入して書類は整った。
 念のため連絡先に電話してみたら、仮に認められた場合、父が存命期間中の33年間の年金と、母が受給中の遺族年金の両方が対象となるそうである。

 70年前にすでに厚生年金が存在し、父がそれを粛々と納めていたという事実に驚き、まるで浦島太郎のような不思議な感覚に陥った。
 家族は日頃からよく話し合っておくものだと、しみじみ思った。思いもかけないところでそれが活きるものだとも。

2013年1月14日月曜日

マイク端子をエレアコにつなぐ

 昨年あたりから「エレアコのケーブルをつなぐライン入力端子(Phone端子)が会場に存在しない」というステージが、結構多くなってきた。事前に必要な機材を確認してくれる会場もあるが、数としてはごく少ない。
 ライブの数が多くなればなるほど「行ってみなければ分からない」という会場が増えてくるのは、ある程度やむを得ないのかもしれない。
 実戦で使っている2台のギターはどちらもエレアコで、ケーブルをPAにつないで音を増幅するのが基本。会場にライン入力端子の用意がなければ、ギターの音をマイクで拾うしかない。
 どの会場でもマイクは複数あるので一応は問題ないが、エレアコの音は内蔵のピックアップからケーブルで直接PAにつなぐのが本来の姿。それを無理にマイクで拾うのでは、音に不満が残ってしまうのだ。


 いろいろ悩んで、この「行ってみるまで分からない」あるいは「ライン入力端子は当面存在しない」会場対策として、アンプなしの生音でもそれなりに鳴るエレアコを、年末にまず買った。さらに今回、会場に確実にあるマイクのXLR端子をエレアコ用のPhone端子に変換するアダプターを購入した。
 この種のアダプターの存在は、長崎のいちろうさんからの情報で知った。ケーブルのついている製品もあるが、買ったのはシンプルで安価な単体タイプ。

 さっそく手持ちのエレアコにつないで弾いてみたが、どちらも本体に直結して普通に使える。音にも問題はなく、小型なので移動の邪魔にもならない。手持ち予備マイクのケーブルにつないで、非常時のシールドケーブルとしても使えそうだ。


 今回買った品はアマゾンで送料込みで554円。マイクケーブルをつなぎ換えるには、XLR端子側はオス(M)タイプが必須。
 Phone端子側は直結にこだわらなければ、メス(F)タイプでも構わない。ただしこの場合はシールドケーブルが別に必要となる。

2013年1月13日日曜日

スコップ除雪

 今日も仕事のつもりでいたが、世間は3連休であることにふと気づく。仕事の工程は予定よりもはるかに進んでいるので、今日は完全に休むことにした。
 相変わらず元旦からのマイナス気温が継続中で、なんでも36年ぶりの記録だとか。昨年から何かと記録続きの天候で、心身の調整が難しい日々である。
 今年は厳冬の割に電動除雪機の出番が少なく、まだ1回しか使っていない。節電の大号令が発令中なので、電気機器は使わないにこしたことはないが、それにしてもなぜ?と疑問だ。
 雪の量自体は記録的だが、今年は除雪業者の交代でもあったのか、我が家の地区に除雪車が来る時間が、これまでよりかなり早い。除雪の仕方も玄関前になるべく雪を残さず、土手や空地に雪を押し上げるように工夫している気がする。

 加えて近隣に除雪機を所有する方々が、自宅周辺のついでに我が家近くの道路まで時折除雪してくれる。それやこれやで、大半がスコップによる15分ほどの手作業で済んでしまっている。ありがたい。


 スコップは用途別に4丁持っているが、多用するのは写真の2丁で、冬期はすぐ使えるよう、玄関ドア横の木製スクリーンにフックを取り付け、そこにかけてある。
 このフック、単にかけるだけだと強風時に外れてスコップが飛んでしまう。そこで上端には可動式のヒンジを取り付け、着脱時には横に倒し、固定時には上に回して使っている。

 下端が浮いた状態にある金属製スコップは、これだけでは風で揺れてうるさい。そこでさらに下端をヒモで結わえてある。玄関内に入れたり、外壁に立てかけたりすればこんな面倒は必要ない。しかし、とかく散らかりがちな玄関周りをデザイン的にすっきりさせようとすると、こうなる。
 機能とは無関係だが、スコップのデザインや色も厳選している。住宅の周辺に置くものは車や自転車、道具類も含めて、すべてデザインの及ぶところだ。

2013年1月12日土曜日

息子から宅配便

 私にしては珍しく早めに起きたら、午前中にピンポンが鳴る。郵便局からの宅配便である。宮崎在住の息子からのもの。虫が知らせたのか、早めに起きていて正解だ。

 お嫁さんの実家で作った米5Kgのほか、地元名産の漬物やマンゴーゼリーなど。手紙のほかに、何とお年玉まで入っているではないか。昨年末にタラバガニを送りはしたが、そもそも息子が送ってくれたエビスビールのお返しのつもりだった。そのまたお返しとは義理堅いこと。
 しかし、紛れもなく息子夫婦の真心がこもっている。ありがたくいただくことにした。


 以前にも数回、末の息子からお年玉を頂戴したことがある。子育てにあたって大したことはしていないが、素直にうれしい。長生きはするものだ。

 小荷物にはカエルグッズも入っていた。メタリックなホチキスガエルで、タイで催されたフットサル世界大会を観にいった際の土産だとか。妻もそうだが、旅先で土産に迷ったとき、カエルが決め手になるらしい。カエルキャラは世界中にある。
_進行中の4棟分の仕事はひとまず終わった。休み明けに納品するが、次の物件2点の図面は昨日すでに送られてきている。休む間もなく、明日からはそちらの仕事にとりかかる。
 これまで図面は直接受け取りに行くか、せいぜいFAX受信がいいところだった。(CADデータでは普通送られてこない)しかし今回は全資料がpdf画像でメール添付されてきた。任意のスケールでプリントアウトしたり、状況によってはプリントせず、そのまま別画面で開いて参照しつつデータ入力が可能である。
 早くて正確。手間暇がかからないので、結果として原価が下がり、見積価格も下げられる。こうでなくては。

 担当の方に確かめたら、社内にある複合機で資料をスキャン、そしてpdf変換し、そのままパソコンに取り込んで、一気にメール添付しているのだそう。つまりは複合機がLANでパソコンとつながっているということ。
 ここまでやってくれない依頼主がまだまだ多い。要は時代の先を読む意識と態勢作り、そしてそれを操るスキルの問題だ。