2025年3月27日木曜日

金婚旅.3《海を越えたら小豆島》

 (「金婚旅.2」からの続き
 旅の3日目、前日歩き疲れたせいか、目覚めると6:20。8時間20分も寝たことになり、久しぶりの熟睡である。おかげで身も心もスッキリ回復した。
 棟方志功作による世界最大級の木版画が吹抜けに飾られたロビーを経由し、やや出遅れて7時に食堂へ。
 朝食は6:30から始まっていたが、この日はバス集合時間が25分延びて8:40となり、前日と似た洋食バイキングをゆっくりと味わう。


 
 メンバーの集まりがよく、予定より5分早く8:35にホテル駐車場を出発した。
 この日は瀬戸内海沿岸を東に走り、新岡山港からフェリーで小豆島に渡って島内を遊覧し、池田港から再度フェリーに乗って高松へ上陸。そこから南下して徳島県鳴門海峡近くにあるホテルに入るという、4つの県を一気に巡る旅程である。

 順調に走って9:20に新岡山港に着いたが、フェリー乗場の対岸の山から青い煙が上がっていて、消防のヘリが忙しく動き回っている。今治と同じ日に岡山でも山火事が発生していて、この旅2度目の遭遇だった。
 フェリー運行に支障はなく、定刻の10:10に出港して、波静かな瀬戸内海の旅を楽しんだ。


 乗ったフェリーの内部デザインがビビットで洗練されていて好奇心が湧き、あちこち探索するうち、飾ってある絵に見覚えのあるサインを見つけた。工業デザイナーの水戸岡鋭治氏で、JRなどの車両デザインで有名な方だ。
 創作活動の初期には斬新な建築パースも手掛けていて、私もかなり影響を受け、氏の本も持っている。フェリーのデザインまでやっていたとは知らず、こんなところで遭遇するとは驚きだ。

 船内を歩き回っているうち、11:20に船は小豆島西部に位置する土庄港に入った。

 世界一狭い海峡とギネス認定された土渕海峡を左手に眺めつつ、バスは20分後に小豆島大観音へと到着。ここにあるカフェ「仏陀茶房HAPPY」でローストビーフ丼の昼食となった。
「香川ブランドオリーブ牛」というふれこみだったが、あいにく私は牛肉が苦手。一切れ妻に手伝ってもらい、残りはがんばって食べた。本場の小豆島素麺の吸い物は美味しかった。


 観音様は「世界一やさしい観音」「しあわせ観音」と言われ、高さは約70mある。
 別料金を払うと内部エレベーターで展望台まで上れ、メンバーの半分は参加していたが、午後から別の展望スポットの訪問予定があり、私たちは周辺を散策するだけにした。

観音様の足元に咲く八重の紅梅

 12:40に観音様を出発。東に走って、島中央部にある渓谷、寒霞渓(かんかけい)へと向かう。
 バスを降りた山頂駅が標高612mで、荒削りの断崖や奇岩のはるかむこうに、瀬戸内海が見渡せる。秋の紅葉が見事らしいが、季節はまだ早春。この日は雨の予報が出ていて、眺めはいまひとつだった。

 撮影台にスマホをセットしてセルフ撮影していたら、若い外国人男女が「撮りましょうか?」と声をかけてくれて、ありがたくお願いする。倉敷に続いて、この旅2度目の好意だった。

 小豆島土産が充実しているという売店で、オリーブチョコ、オリーブクランチ、オリーブ素麺、鳴門ワカメなどをまとめ買い。
 そこから断崖をかすめてロープウェイで5分ほど下り、麓駅駐車場で待ち受けていたバスに再び乗る。この旅4種類目の乗り物利用となった。


 14時に小豆島オリーブ公園に到着。ここでの自由時間は55分と短い。起伏に富んだ敷地内を精力的に歩き、まず最初にギリシャ風車に行く。
 テレビCMにも使われていて、無料レンタルの魔法のほうきにまたがって記念写真を撮る姿が多数。
 映画「魔女の宅急便」のロケ地であることにあやかったものだが、私も妻も真似をするつもりはなく、風車前で写真を撮るだけにした。

この写真は添乗員さんが撮影

 園内の「花と香りのガーデン」には、魔女宅の映画ロケで使われたパン屋が「雑貨コリコ」として土産物店になっている。
 好奇心半分でのぞいてみると、精巧なカエルの置物がいくつかあり、「カエ太」という名のスコップにまたがった魔女宅ふうカエルを、妻が金婚記念に買ってくれた。

雑貨コリコ
携帯ストラップとカエルでプレゼント交換

 道の駅でオリーブ粉末を使ったオリーブ色のソフトクリームを食べるうち、早くも集合時間。園内にはオリーブ色のポストまであって、実際に使われているとか。とことんオリーブにこだわった公園なのだ。
(人が多すぎてポストの写真撮影は断念)
 14:55にバスは出発し、池田港発15:30の高松行フェリーに乗船。小豆島滞在時間は移動を含めて4時間強の駆け足観光で、充分堪能したとは言い難い。
「エンジェルロード」「二十四の瞳映画村」「中山千枚田」など、訪れたい名所はまだまだあった。団体行動なのでやむを得ないが、いつか別の機会があればとも思う。

アオアヲナルトリゾートのロビー

 1時間で高松港に到着し、今夜の宿となる徳島鳴門温泉に向かう。
 高速に乗るまで、49年前の新婚時代に現場赴任で9ヶ月暮らした高松の街中をバスは通り過ぎ、屋島や栗林公園、百十四銀行本店のブロンズ外壁など、当時と変わらぬ風景に再会し、妻と懐かしさにふけった。

 17:45に旅行最後の宿泊地となる「アオアヲナルトリゾート」に到着。新しく近代的な四つ星ホテルだ。客室からは打ち寄せる鳴門海峡の波が間近に見られる。
 夕食はシフトの都合で19:30からとなり、まずは2つある温泉に入る。妻は1階の露天風呂へ、私は8階の展望風呂へと別れたが、日はすでに暮れていて、眼下の海は全く見えなかった。


 夕食は「阿波三昧バイキング」と称した郷土料理。鳴門鯛を中心とした刺し身や寿司、しゃぶしゃぶ、天ぷらなどが食べ切れないほど並んでいる。旅も最後なので、妻と生ビールで乾杯。
 1時間ほどで満腹となり、21時には部屋に戻った。波の音と共に最後の夜は静かにふけてゆき、23時に眠りにつく。

(3日目の歩数=7,911歩)(旅日記4日目に続く)

2025年3月26日水曜日

金婚旅.2《歩け、歩こう !》

「金婚旅.1」からの続き
 早朝から妻の起き出す気配で目覚めた。時計はまだ5:30で、7時からの朝食には早すぎるが、妻もよく眠れなかったらしい。2日続けて4時間余の睡眠時間で眠り足りないが、やむなく私も起きた。

「早く並ばないと、混むわよ」と妻が急かし、開始15分前に朝食の列に並ぶ。和洋のバイキングが自由に選べて、妻は和食中心、私は洋食をチョイスした。

旅行中トップレベルの朝食

 7:15から食べ始めると、客が続々と詰めかけてくる。この日は宿泊客が多く、広いホールにあふれるほど。外国人を含めた観光客のほか、作業服姿も目立つ。
 山火事に伴う消防や電気工事関連の緊急宿泊が急増したことを、あとで添乗員から聞く。早めに並んだ妻の判断は正解だった。

 ホテル前の集合時間は8:15。大きな荷物はバス内に持ち込めず、側面のトランクに夕方まで収納するため、小物類は手元にわけておく必要があった。適当なバックの準備がなく、つぶしの効くエコバックで代用する。

今治国際ホテル

 予定時刻通りに、この日最初の訪問地にむけて出発。
 前日に夕食をとった風のレストラン近辺から、全長約60kmのしまなみ海道に架かる10本の橋を経由して瀬戸内海を北に向かって縦断し、倉敷まで進むのが2日目の旅程である。

 まず最初に、3つの橋が連なる来島海峡大橋から渡り始めた。眼下に広がる瀬戸内海と島々を眺めつつ、亀老山展望台公園のある大島南ICで高速を降りる。そこから細い道をたどって8:50に山頂に着いた。
 隈研吾氏の設計によるパノラマ展望台ブリッジからは、通ってきたばかりの三連吊橋を始め、瀬戸内海の潮流や今治の街並みなどが広く見渡せ、しまなみ海道随一の絶景スポットと言われている。

亀老山展望台から臨む来島海峡大橋

 山を下って再びしまなみ海道に戻り、橋をいくつか渡って大三島ICで降り、道の駅多々羅しまなみ公園へと入る。実はここから歩いて多々羅大橋を渡るという、しまなみ海道ウォーキングのイベントが待ち受けているのだ。
 歩く距離は5km弱で、予想所要時間は1時間。普段あまり歩く習慣のない人には厳しい距離で、しかも橋は地面のはるか上にあるから、まず上に登ってから橋を渡りきり、今度は急な階段を降りるという苦行が続く。

 バスは一足先に橋を渡り、次の生口島南ICで降りて待っていてくれる。歩き通す自信のない人は、そのままバスに乗っていればよいとのこと。腰に不安のある私と膝に不安のある妻は、前日から判断に迫られていたが、直前の最終確認で「歩きます!」と宣言。
 実は旅の出発時から2人ともそれぞれコルセットを装着し、冷湿布やバンテリンでの予防措置も万全だった。そのせいか、前日は7,416歩という普段の倍近い歩数を無難にこなしている。
 天気もよく、風もない。せっかくの機会でもあるし、集団ならばなんとか歩けるはずと考えた。

多々羅大橋を渡り始めた直後

 道の駅多々羅しまなみ公園から傾斜路をたどって多々羅橋に出て、10時ちょうどから歩き始めた。
 添乗員を先頭とする元気のいいグループが先行し、私と妻は最終グループ数人でユルユルと歩く。

 歩道は半分が自転車道になっていて、自転車がひっきりなしに行き交う。多くは外国人で、すれ違いざまに挨拶を交わし合う習慣は、20代にやった自転車旅行と何ら変わりがない。


 橋を支える巨大な塔の真下では、「鳴き龍」という現象が2ヶ所で楽しめる。音がビンビンと響きながら上ってゆくもので、専用の拍子木まで置いてある。
 私も妻も試してみたが、確かに龍が鳴いた。どこかの寺にも似た現象があったはずだが、ここのは残響音が非常に長い。

「自信がない」と言っていた同年代女性とも互いに励まし合い、途中の県境も超えて、55分かけて無事にゴール。高齢者中心だったが、脱落者ゼロで乗り切った。


 生口島にある「しまなみロマン」という食堂&レンタサイクル店で昼食となる。

 この島のある瀬戸田町はレモン栽培に力を入れている。メニューの「海鮮丼」「瀬戸内レモンポーク」「たこ唐揚げ」「じゃこ天」「茶碗蒸し」「瀬戸田レモンスカッシュ」にも、ふんだんにレモンがあしらわれていて、そのどれもが抜群の味。長い距離を歩いた直後の身体を癒やすには絶好だった。


 食事後、1時間の自由時間となり、元気いっぱいのメンバーは平山郁夫美術館などの美術館めぐりを続けていた。
 私と妻に歩く元気はさすがになく、近くのローソンで珈琲を入手し、バス駐車場そばの土産物店でレモンケーキのお土産を買ったのち、レモン色のベンチに時間まで座り込んでいた。

 13:10に2日目の宿泊地、倉敷に向けて出発。疲れと寝不足もあって、14:30に到着するまで私も妻も座席でコンコンと眠り続け、途中にあった残りの橋や景色は全く記憶にない。

倉敷国際ホテル

 倉敷ではまず宿泊する「倉敷国際ホテル」にチェックイン。荷物を置いたのち、15時過ぎから周辺の「倉敷美観地区」を散策する。

 最初に旅行社が契約するオリジナルきびだんご店に行き、フルーツきびだんごを1本食べたが、歯の弱い私には粘りが強すぎて食べられなかった。オヤツの時間帯ではあったが、この企画は不要だったかも?


 そこから完全自由行動となり、町並保存地区をあてもなしにブラブラと歩き回る。
 ホテル裏には大原美術館があったが、50年前の新婚旅行ですでに観ており、入館料は各自負担ということで今回はパス。

 当時はなかった細い横丁や店が数多く並び、多くは知らない店だったが、50年前に行った「エル・グレコ」というカフェだけが未だ営業を続けており、記憶にある外観や看板もそのまま。妻と感慨深く眺め、長い月日の流れに思いを馳せた。


 閉店間際で中には入れず、建物前で写真だけを互いに撮ろうとしていたら、長身の若い女性が不意に私たちの前を横切ろうとし、スマホ撮影に気づいて「失礼!お撮りしましょうか?」と声をかけてくれた。
 三脚や自撮り棒は持参せず、あとで合成でもするつもりでいたが、ありがたく撮っていただくことに。

「50年ぶりの訪問なんです」と妻が礼を言うと、「それはよかったですね!」と頬笑み、女性は颯爽と去っていく。その姿、まるで私たちを写すために舞い降りた天使のように思えた。


 この日の夕食は各自でとるルールで、事前にネットで調べ、駅前にあるうどん店と決めていた。スマホのナビを頼りに細い脇道を散策しつつ、ゆっくりと向かう。
 古民家を改造した入場料無料の観光文化施設「倉敷物語館」では、藍色の組紐で手作りした携帯ストラップが売っている。妻のストラップが切れる寸前で、ささやかな金婚記念としてプレゼントした。

 途中、ネット検索でマークしておいた「倉敷プリン」の店を見つける。倉敷美観地区で人気のスイーツ店で、10種類近くのプリンから「抹茶と赤いダイヤ ¥500」を購入。
 店内に席はなく、屋外のベンチで食べたが、期待を裏切らない濃厚でまろやかな美味しさだった。


 17:30に駅前の「倉敷うどん ぶっかけふるいち仲店」に着く。多数あるメニューから、「天ぷらぶっかけ ¥830」を注文。歩き回って空腹で、スルリとお腹に収まった。

 ホテルに戻る途中、ローソンに寄ってビールとツマミを購入。ホテル帰着は18時すぎで、長い1日がようやく終わりを告げた。


 ホテルに温泉や大浴場はなく、客室内の浴室のみ。この日も軽く乾杯し、早々に床に着く。
 前日同様、簡単には寝つけないことを予想し、スマホで新聞や小説を読んで時間をつぶしていたら、22時になって急に睡魔がやってきて、ストンと眠りに落ちた。


 歩きに歩いたこの日の歩数は脅威の16,202歩。過去に記憶がない数字で、歩幅70センチ強として、実に12km近くも歩いたことになる。
 条件さえ整えば、まだまだやれるものだと、少し自信が持てた。

(2日目の歩数=16,202歩)(旅日記3日目に続く

2025年3月25日火曜日

金婚旅.1《山火事にもめげず》

 今年で結婚50周年の金婚を迎えるのを機に、夫婦で3泊4日の記念旅行に出かけることにした。
 構想は数年前からあり、実施の前提として2人そろって健康でいること、親の介護などの諸問題がないことがあった。
 年が明けて期日が迫り、私の腰痛以外に大きな障害はなく、どうにかやれそうだった。日程は雪がほぼ解け、年度替わりの諸活動も峠を越す3月末と決める。
 行き先は以前から候補にあった瀬戸内方面。新婚旅行が鷲羽山〜倉敷周辺で、結婚2年目に現場赴任で9ヶ月間、高松に住んだこともある。20歳の自転車旅行の折にも瀬戸内沿岸を走っていて、いろいろな意味で関わりの深い地域だった。
 50年目にして思い出の地をたどり、人生を振り返るのも悪くない。

 当初は格安パックで航空機とホテルだけを確保し、移動はレンタカーでやる手段を考えたが、車の長時間運転に不安を感じて断念。
 ネットで旅行代理店各社のプランを慎重に吟味のうえ、旅行意図と予算に最も近いH社の「小豆島と大塚国際美術館 ちょっと贅沢な瀬戸内ぐるり5県・15の味覚4日間」という長い名のコースに最終決定した。これが1/12のこと。
 最大の問題だった私の腰痛は、指圧やストレッチを中心とした対策が効いて徐々に回復。最終日程表が届いたのは3/18で、書類ではなくメール添付のpdfファイル。これも時代かとプリントアウトし、スマホにも送って随時見られる状態にした。
 久しぶりの長い旅行で、1週間ほど前からあれこれ準備。気温差が15度以上もある地域への移動で、衣類の調整が難しかった。

旅立ち前の新千歳空港

 あっという間に当日がやってきて、緊張と期待で4時間ほどしか眠れず、妻は4:30から昼食のサンドイッチ作り、私は5:30に起きて4日間の留守に備え、防犯関連の各種対策をやった。
 自宅出発は7時。新千歳空港発9:30の便だったが、集合は1時間前である。移動の負担を軽くするため、自宅から車で高速に乗り、空港周辺の格安駐車場を利用する。

 高速の事故渋滞情報は起床直後に確認済みで、1時間で空港駐車場にすんなり到着。循環送迎バスに乗って15分後には空港に入った。
 ここまでは順調だったが、肝心の集合場所「北海道ツアーデスク」が見つからない。迷ったすえ、空港職員らしき人に尋ね、ギリギリの8:30にようやくたどり着く。窓口で渡されたのはA4の紙に印刷された不思議な搭乗券らしきもの。
 どうやら「Eチケット」と呼ばれる代物らしく、右上のQRコードを自動チェックイン機にかざせば搭乗手続きが完了するという。もし紙をなくしても、番号等の情報を入力すれば乗れるらしい。航空機利用は長男の結婚式以来13年ぶりだったが、時代はすっかり進歩していた。

乗り継ぎの羽田空港で昼食

 予定通り9:30に千歳を飛び立ち、11:30に乗り継ぎとなる羽田に着く。ここで持参の昼食を慌ただしく食べ、12:15に目的地の松山空港へと向かった。

 ほぼ予定通り、14時に愛媛県松山空港到着。出発時の千歳は気温8度で冬支度だったが、到着した松山は25度の夏日。私はジャンパーのインナーを外し、妻も2枚の上衣を脱いで薄手に着替えた。
 空港出口でツアー旗を持った添乗員の中年女性が明るく出迎えてくれ、貸切バスでただちに出発となる。

松山空港に無事到着
4日間を共にする貸切バス

 最初の訪問地は今治タオル美術館。折悪しく今治では前々日に山火事が発生していて、美術館周辺にも迫りつつあった。
 当初は高速経由で向かう予定が、通行止めで一般道に変更。やや遅れて15:30に到着し、見学そのものに支障はなかった。


 国内タオル生産の5割を占めるのが今治で、製造工程やタオル製品をアートとして展示している。
 ムーミンやピーターラビットなど、よく知られた内外のキャラクラー製品が要所に展示され、楽しめる工夫がされている。


 入口の下層階から順路をたどり、最上階にある庭園に着くと、山火事が間近に迫っていて驚いた。時折赤い炎もあがっていて、条件が悪ければ見学は叶わなかっただろう。
(今治の山火事は3/31に鎮圧されました)
 16:20までに無事すべてを観終わり、この日の夕食をとる「風のレストラン」へと向かう。

最上階の庭園から見えた山火事

 バス移動にはそれなりの時間を要したが、添乗員から窓外を流れる名所旧跡、歴史などについて随時マイクで説明があって退屈しない。

 今回のツアーメンバーは21名で、バス定員の半分ほど。席には充分に余裕があってくつろげた。
 参加者の地域別は札幌7
、旭川4、甲府6、青森秋田など4名。企画はH社の札幌支店とあって北からの参加が多いが、ほどよくバラけている。
 年齢層は70代前後が多く、男女2人が7組、女性2人が3組、男性1人といった内訳。時間に余裕のできた高齢者が中心と思われた。

「風のレストラン」から臨む来島海峡大橋

 1時間ほど走って、17:15に風のレストランへ着く。翌日の旅程となる「しまなみ海道」のスタート地点にあり、来島海峡が一望できる全席オーシャンビューが人気の店だ。
 黄砂の影響でやや霞んでいたが、全面ガラス張りの席から臨む来島海峡大橋の展望は見事。

 ここでツアーの売りのひとつ、4つの味覚「愛媛真鯛のカルパッチョ」「生ハム」「スペインオムレツ」「愛媛真鯛と海老のソテー」を味わう。ご飯がやや冷めていたが、ツアー最初の食事としてはまずまずか。


 18時に食べ終わり、外の撮影スポットで添乗員に夫婦2人の写真を撮ってもらう。
 再びバスに乗り、1日目の宿泊先となる「今治国際ホテル」へと向かった。


 1時間後に到着し、まずは温泉で疲れを癒やす。四つ星ホテルとあってか、客室を含めてどこも清潔で洗練されている。

 取り立ててやることもなく、自販機で買ったビールで妻と乾杯したのち、早めの22時に床につく。寝不足で疲れているはずが、興奮状態と暑さでなかなか寝つけない。
 掛け布団の下端をめくって暑さ対策を施し、スマホに転送してあった山本周五郎の小説を読むうち、1時過ぎにようやく眠りについた。

(1日目の歩数=7,416歩)(旅日記2日目に続く